店名は「旅」と読ませる。フレンチと日本料理のいいところを掛け合わせて、また、世界中を旅した経験(したいという願望も含めて)からの店名だ。
香港で日本人が3つ星? その事実を知らない人も多いだろう。料理人にとっていわば金メダルでもある3つの星に辿りつくには、運の強さも必要だが、佐藤氏自身が実力でいくつかの転機を積極的に選び取ってきたからにほかならない。
フランス料理の出身である佐藤が最も長く修行したのは、一世を風靡した軽井沢の「エルミタージュ・ドゥ・タムラ」。冬場は店が休みになるため、日本料理の技術も身に着けたいと、「日本料理龍吟」の山本征治氏の門をたたいた。そこで研修を繰り返したのち、日本料理の技術の奥深さに心惹かれ、「日本料理龍吟」のスタッフとなった。これが人生最大の転機であったが、これがさらなる転機を生むことなとる。
2011年の夏のある金曜日「週末香港に行かないか?」と山本氏から声が掛かる。もちろん、支店をオープンするかもしれないとも知らずに(いや、実際、この時点では、山本氏も決断していなかったのだという)。ところが行ってみたところ、香港サイドのオーナーはいたく乗り気で話はトントン拍子に進み、翌年の3月には「天空龍吟」を開店することになった。そして、料理長を命ぜられたのが、佐藤氏だったというわけだ。
「それからは毎月リサーチに行きました。すごいスピード感でしたけれど、いつか海外で働きたいという思いはずっとあったので、恐れや躊躇はなかったですね。言葉もそこそこはできましたから不安はありませんでした。行きたいと即答しました」
また、時を同じくして、「世界のベストレストラン50」のアジア部門「アジアのベストレストラン50」が創設された。「日本料理龍吟」は当初からランクインし、山本氏に誘われて、会場へ足を運んだ。それまでシンガポールに、バンコクに、香港……に、どんな美食店があるのか、日本でもそれほど知られていなかったのが、各国のトップシェフが肩を並べ、熱い戦いを繰り広げることで、まさにアジアの美食に目が向くきっかけとなったのである。
佐藤氏のモチベーションが高まったことは言うまでもない。「天空龍吟」は2年目で見事に50位にランクインし、さらに「One to Watch」(今後の注目賞)に入賞。その当時の店のモットーは「日本と時差のない日本料理を」だった。まだまだ香港における日本料理のレベルの低い時代にあって、日本と同じスタイルで供される懐石料理はまたたくまに評価されたのだ。