自分が誰を支持するかは明確だという人であれ、あるいは、まだ決めかねている人であれ、自問すべきは、自分が投票する人物のことをどれくらい知っているかだ。
あなたが支持している政治家について、最後に徹底的に調査したのはいつだろう? これは、その政治家のソーシャルメディア投稿にざっと目を通したときのことではない。また、そのカリスマ的な演説を熱心に聞いたときのことでもない。その政治家の政策、思想、これまでの行動を、最後に掘り下げたのはいつだろう?
多くの人にとって、これは面倒な作業に聞こえるだろう。政治を日常生活から排除すればするほど、人生が複雑にならなくていい、と感じている人もいるが、それは必ずしも真実というわけではない。健全な社会と私たちのウェルビーイングのためには、自分たちが誰に権限を与えようとしているかを理解することが重要だ。
権威に欺かれる可能性がある、と考えることを好きな人はいない。けれども、歴史は、そうした可能性があることを示している。たとえ自分の選択は正しいと確信しているとしても、投票しようとする人物について調査すべき理由は3つある。
1)権威への盲目的な服従は危険
私たちは人生においてしばしば、自信を持って話している「ように見える」人の話を、その発言が本当に正しいかどうかを問うことなく聞き入れることがある。それは、必要なタンパク質の量を教えてくれるフィットネス・インフルエンサーかもしれないし、ナルシシストの見分け方を教えてくれるTikTokのセラピストかもしれない。考えてみてほしい。あなたは本当に、事実を確認したり、その人物の信頼性を検討したりしているだろうか?
誰かが自信を持って発言しているように見えると、「この人は、自分が何を言っているかをわかっているに違いない」と考えてしまいがちだ。こうした盲目的な服従という現象は、私たちが認めたくないほどありふれたことであるだけでなく、非常に危険な事態につながり得るものだ。
「PLOS One」に発表された2014年の研究論文は、盲目的な服従がどれほど憂慮すべきことかを説明している。この研究は、1960年代に心理学者スタンレー・ミルグラムが行なった有名な実験を振り返っている。この実験では、ごく普通の人々が、権威者に命じられたというだけで、進んで他者に電気ショックを与えた。有害と知っていたにもかかわらずだ。
ミルグラムの実験は、ふさわしく見える人物から命令された場合、私たちは、命令に従うだけでなく、自分の行動の道徳性や結果について疑問を抱くことすらやめることを示唆している。
「私は違う」と思う人もいるかもしれない。しかし、候補者の政策の全容を理解しないまま投票することは、盲目的な服従と同じだ。その人物が本当にあなたの道徳観に合っているかどうかにかかわらず、その人物に従う、ということなのだ。