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2024.10.05 17:45

26歳で実家の製麺所が廃業。奇妙礼太郎が「得意」を伸ばせた理由

ミュージシャン・奇妙礼太郎


そのうちギターを買う友だちが出てきて、自分も買いました。でも、ギターを絶対にやりたいんだ!みたいな感じではなかったです。みんな1回はやる、そんな感じでした。その時買ったのは初心者用のミニギター「ZO-3ギター」でした。
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歌本に載っているコード表を見ながらギターの弦を押さえて音を出すのが楽しくて。だけど、バンドを組みたいとかそういう気持ちはまったくなかったですね。バンドをやっている人もいましたけど、ぼんやりと見ていました。

26歳でフリーターになる

大学は一浪したあと5校ぐらい受けて、1校だけ受かったところになんとなく行きはじめました。ただ、入ったはいいけれど、授業を受けても“何をしているのかわからんな”という状態で。大学は楽しいとかそういうのは別にないんやな、と。それでギター好きだしと思って軽音楽部に入ったんです。

ライブハウスに出るようになったのもその頃から。でも「プロになるぞ」という気持ちはあまりなかったので、大学卒業後は実家で働きながら週末はライブハウスでライブをするみたいな暮らしをしていました。お金もないし、贅沢な生活は諦めていた感じはありましたけど、でもまあそれなりに楽しく暮らしてはいたんです。

でも26歳の時に、実家の製麺所が工場をたたむことに。

「わー! 仕事がなくなった! やばい。どうしよう」と思ったけど、急に何かができるわけではないので、フリーターをしながらライブハウスに出る、という暮らしを続けていました。
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そんな中で、音楽で生きていくことを決めたというよりは、そこに居場所があって、その他にできることがなかったからです。人に評価されるとか、仕事を頼まれることって音楽以外なかったですから。今思えばラッキーやなと思います。2005年には、アニメーションズとして1stアルバム『THE ANIMATIONS』をリリースし、2008年には「奇妙礼太郎トラベルスイング楽団」を結成しました。

ずっと大阪で活動していたんですが、気づいたら東京の仕事が多くなっていて。10年ほど前に東京に引っ越して事務所に所属しました。そこからCM歌唱の仕事したり、これからもこの仕事をしていくのかなと。

2013年には、Sundayカミデ、テシマコージと「天才バンド」を結成(2015年にunBORDEからメジャーデビュー)。

売れたらいいなとは思っていましたね。事務所に入ったら自動的に売れるのかなと思ってましたけど、そんなことなくて。そりゃそうなんやって(笑)
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文=久野照美 取材・編集=田中友梨 撮影=小田駿一

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