瀬戸内エリア内外の起業家やアトツギをゲストに招き、瀬戸内・中四国特化型ベンチャーキャピタル「Setouchi Startups」の共同代表、藤田圭一郎と山田邦明がVC目線でゲストのビジネスストーリーを深掘りします。
今回は、家業である屋根材問屋の白神商事3代目を務めながら、屋根工事の職人とエンドユーザーのマッチングサイトを運営するいえいろはを立ち上げた、アトツギであり起業家の白神康一郎さんをゲストにお迎えした回をご紹介。
アトツギでありながらスタートアップを立ち上げる経験について、これまで併せて語ることはあまり多くなかったと話す白神さん。両輪で経営していく良さはどこにあるのか、どのように事業の種を見つけて進めていったのか、事業化のヒントをお届けします。
自分を形作った家業の存在 いつか戻ると決めた上での選択
白神:白神と言います。家業3代目の白神商事といえいろはという新しい会社をやっています。瓦問屋の長男として生まれ、大学や大学院で研究をした後に野村證券で企業買収に関わり、その後家業に帰ってきました。
家業にいつか戻ろうと思っていたので、就活の時はリクルートや証券会社など、家業とは全く違う会社にいきたいと考えていたんです。野村證券に入社してからの2年ぐらいは、デリバティブを作るような仕事をしていました。新卒で入ってすぐにリーマン・ショックがおきて、野村證券がリーマンブラザーズの欧州とアジア部門を買収したので、突然上司がインド人になったりもしましたね(笑)
藤田:いつ頃に家業に戻ろうと決めていましたか?
白神:父親が私が17歳の時に亡くなっていることもあり、母親から30歳までに帰ってきてほしいと言われていました。やっぱり自分を形作ってくれたのは家業や瓦問屋の社員の方々、父親だったので、私としてもいつか家業に帰らないといけないと思っていました。
5、6人の会社で母親が社長を務めていたところに常務として戻りました。役職があってもなくても、直系として次の社長は自分だという感じだったんです。社内で反発はありませんでしたが、東京から帰ってきて横文字を使うような人って……という見られ方はしていたと思います。最初からうまくいっていたわけではなく、辞めてやろうとまでは行かなくとも、顔が死んでいるような日々もありました。
2013年に家業に戻ってすぐに業界の「不」を感じていたこともあったので、2016年に新しい事業を作ると決めてからは、自分の気持ちをそちらに向けることができました。
藤田:家業に戻る前から何かしたいと思うことはありましたか?
白神:思ってはいましたが、やっぱり会社や業界の状況が分からなかったんです。入ってみると、ビジネスの仕組みを見ておかしいなと感じる部分や、瓦業界で苦しんでいる人がいることが見えてきました。
また、先代を含めて色々な方がビジネスの下地を作ってきてくれましたが、この形が30年も40年も続くとは思っていませんでした。今は生きている状態だけど、早めに何か新しい芽を見つけないといけないとも思っていたんです。