日韓関係筋によれば、もともとの発案者は韓国だった。昨年夏の二国間協議の際、「韓国はすでに英仏などと覚書を持っている。実績がある隣国の日本とも覚書を交わしたい」と提案してきたという。これに対し、昨年11月に韓国・釜山で行われた日韓外相会談の際、上川陽子外相が応じる考えを示したため、日韓両外相の協議事項になった。
ただ、日本側には「すでに実績があるのに、わざわざ覚書なんか結ばなくていいじゃないか」とか、「中国が”日韓が台湾有事に備えて動きだしている“と勘繰るのではないか」といった慎重意見も出ていた。それが、しばらく宙ぶらりんになっていた背景だという。
そこに、降ってわいたように、岸田首相の「韓国卒業旅行」が浮上した。韓国側は、自分たちの提案を実現させる好機と見たのか、はたまた、尹錫悦大統領と仲が良い岸田首相に花を持たせようという配慮だったのか、「せっかく、ソウルにいらしていただくのに、何も成果がないのでは申し訳ない」という理由で、急遽、首相訪韓のタイミングでの覚書署名が浮上した。上川外相は首相訪韓の直前の5日、日豪外務・防衛閣僚協議(2プラス2)に出席するため、オーストラリア・メルボルンにいた。それで、「持ち回り署名」という格好になったのだという。
韓国サイドでは、この署名や「入国前事前審査の導入検討」くらいしかなかった今回の岸田訪韓について、「手ぶら訪問」(ハンギョレ新聞)という厳しい指摘が出ている。ハンギョレの社説は「日本と尹錫悦政権はこれまで『歴史問題には目をつぶり軍事協力さえ進めれば良い』という姿勢で両国関係を改善してきた」と唱え、歴史認識問題での取り組みに不満を示した。
ただ、北朝鮮や台湾を巡る厳しい現状をみれば、「第3国」よりも、日本や韓国で有事が発生したときの自国民退避(保護)についての協議を促す必要があるのではないか。日本政府は第1次朝鮮半島核危機(1993~94年)を契機に、有事の際に韓国にいる邦人を退避させる方法を検討してきたが、韓国政府は国内への影響を恐れ、本格的な協議に応じたことはない。クリントン政権時代には、米国から韓国に住む米市民の退避について内々に打診を受けた当時の金泳三大統領が、国内がパニックになることを恐れ、協議を拒絶したこともある。