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経営・戦略

2024.09.18 13:30

「NZからアメリカへ」M&Aで急成長の中古車輸出オプティマスが描く夢

山中信哉|オプティマスグループ代表取締役

2024年3月期から倍々ゲームの売り上げ増加を見込む中古車輸出業のオプティマスグループ。M&Aによる急成長の裏側には、壮大な夢へチームを巻き込む創業者の姿があった。


「20代に億、30代に10億、40代に100億、50代に1000億円の事業をつくることが目標でした。結局、1000億円は60代になってから。凡人の貧乏人はコツコツやるしかないから、予定より遅くなった」
 
中古車輸出を中心に事業を展開するオプティマスグループは、2024年3月期決算で売上高1239億円を計上。今年64歳になる代表取締役の山中信哉は、起業家としての目標達成が数年遅れたことについて、こう振り返った。

ただ、表情に悔しさはない。創業は1988年。1000億円まで35年かかったが、直近は爆発的に成長しているからだ。前期売上高は昨対比で倍増しており、今期予想は3070億円と147%増を見込む。
 
要因は明確だ。同社の主な輸出先はニュージーランド(以下NZ)で、既存事業は1.5倍に伸びている。このオーガニックな成長にとどまらず、23年11月に豪大手ディーラーのオートパクト、24年5月に豪物流会社のオートケアと立て続けに買収。M&Aで事業展開を一気に拡大したのだ。
 
オートパクトの23年6月期売上高は1599億円。オプティマスは257億円で取得しており、大きな勝負に出た印象だが、山中は「これまでもずっと一歩ずつ身の丈でやってきた。今回も計算は立っている」と、平常運転を強調する。

山中の最初の一歩は、学生時代に始めたキッチン用品の行商だった。海外で勝負したいと26歳でNZに。ロブスターや天然物のタイなど日本でも人気が高い水産物が豊富に取れるのを見て輸入業を始めた。このとき設立した貿易会社が、のちにオプティマスになる。
 
転機は翌年に訪れた。「NZは自動車の輸入が規制されていましたが、1989年に緩和。現地でディーラーを営む友人の父から『日本の中古車を扱いたい』と相談を受け、輸出を始めました」
 
山中に中古車ビジネスのノウハウはなかった。しかし、市場はブルーオーシャン。NZは左側通行で右ハンドルの日本車は需要が見込める。自ら先駆者になり、貿易だけでなく、物流や検査、ローン販売など垂直統合で事業を立ち上げ、安心・安全を売りにNZで独自の中古車サプライチェーンを構築した。
 
ただ、未開拓市場には新規参入も相次ぐ。品質の裏付けがとれない中古車を扱うなど、あこぎなやり方で荒稼ぎする業者もいた。しかし、山中は焦らなかった。

「父が少年院の教官で、昔から『正しく生きろ』としつけられてきました。人様に顔向けできない商売はしたくなかった。遠回りになっても、公正なやり方をしていればいずれ評価されると信じていました」
 
信念は間違っていなかった。車両やサービスの品質が評価され、中古車ディーラーのあいだで信用が少しずつ広がっていった。NZで新規登録の半数を占める中古車のうちオプティマスのシェアは45%に。時間はかかったが、断トツのマーケットリーダーになった。
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文=村上 敬 写真=ヤン・ブース

この記事は 「Forbes JAPAN 2024年9月号」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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