キャリア・教育

2024.09.17 13:30

卓球金メダリストが語るブレイクスルーを起こす思考習慣:水谷 隼

水谷隼|元卓球選手、東京オリンピック金メダリスト

水谷隼|元卓球選手、東京オリンピック金メダリスト

東京オリンピックでの混合ダブルス金メダルなど、卓球界の歴史を切り開いてきた水谷隼。活躍し続けられた背景には、ビジネス界にも通じる独自の思考法があった。
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子どものころから、人と違ったことをしたいと考える子でした。私は中学2年生の秋に単身ドイツに留学しています。直接のきっかけは、ジュニアのナショナルチームのコーチがドイツの方で、私を地元で指導したいと言ってくれたからですが、自分自身の決め手は卓球界で史上最年少の留学だったから。両親も含め周りはみんな反対しましたが、誰もチャレンジしたことがないからこそ、やってみたかったのです。
 
ドイツでの練習は驚くことばかりでした。練習時間は日本の6割程度。コーチとの関係も、日本と違ってフレンドリー。そして何より、ドイツでは一人ひとり練習メニューが違うのです。

例えば、私は守備的なプレイヤーで、台から離れてプレイすることが多かったのですが、戦術に幅をもたせるために、自分の後ろにフェンスを置いて練習をさせられました。物理的に後ろに下がれない状態での戦い方を体にたたき込むためです。一事が万事、すべての練習が私ひとりのためのメニューでした。めきめき上達するのがわかりました。

よく「その年齢で留学を決意できましたね」とか「不安はなかったですか」と聞かれます。でも私は、100人中99人が反対したとしても自分の直感を重視します。誰もやっていないなら自分がやる。誰かがやって失敗したなら自分がやる。リスクあるところにチャンスがあると思うからです。むしろ誰かがすでに成功している道なら自分はその道を通りません。
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その後、私は試合に出るたび、日本卓球界の史上最年少記録を塗り替えていくことになります。

もちろん、ドイツ留学にはつらい経験もたくさんありました。言葉は通じないし、食文化も違う。けがをしたときは焦る気持ちにもなりました。でもそこで私は5年間生き抜いた。これまで誰も経験したことがない、史上初の留学生活に耐えているのだから、史上初の結果がついてくるのは当然だと思っていました。試合で勝つたびにいつも、「それだけのことはやってきた」と思っていました。
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文=佐藤友美 写真=帆足宗洋(AVGVST)

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