過去の成功に縛られない
企業の成長も同じだと思いますが、いつでも右肩上がりが続くわけではありません。必ず成長が止まる踊り場があるし、そこで消えていく人も多い。次のステージにいける人といけない人の違い、それは「過去に成功した方法を捨て、もう一度ゼロに戻れるかどうか」だと私は考えています。私が選手として最も成長できたのは、2012年のロンドンオリンピックで負けたあとでした。メダルを期待されていたのに負けた。その瞬間、驚くほど周囲に人がいなくなりました。一瞬にして「水谷はもうダメだ。次の選手を育てよう」という空気になったのです。見捨てられたと感じました。
もう卓球をやめようかとも思いました。毎日、漫画喫茶に行って漫画ばかり読んでいました。きっと誰かに「そんな生活をしていちゃダメだ。卓球界に戻ってこい」と言ってほしかったんでしょうね。でも、誰も声をかけてくれなかった。それで意固地になっちゃって。結局4カ月ほど卓球から離れていました。当時4社契約していたスポンサーも、自分から更新を辞退したりして。
どん底からはいあがれたのは、お世話になっている企業の社長さんに「今、お前がひとりきりなら、これからの活躍は全部お前ひとりの手柄になるぞ」と言われたからです。確かに卓球は個人競技。周りに見捨てられたなら、ひとりで強くなってやろうじゃないかと思いました。全部捨てて、ゼロからやり直そうと。
次の年からロシアのプロリーグに所属しました。このときも、ロシアは治安がよくない、前例もないと反対されました。もう一度ドイツに戻る道もあったと思います。でも、ここからもう一段成長してメダルを取るためには、過去に成功した方法ではダメだと思ったのです。
ロシア行きと同時に、私はもうひとつ大きな決断をしました。自腹でコーチを雇うことにしたのです。世界トップクラスのコーチである邱建新さんにパーソナルコーチをお願いしました。給料だけでなく遠征先への飛行機代やホテル代など、普通は所属チームが負担するそれらの費用を自分で支払った日本の卓球選手は私だけだと思います。
結果を出せなければ破産する。でも、そのプレッシャーも当時の私には必要だと感じました。大会で優勝してその賞金をもらう。勝ち続けてスポンサーを増やす。1位と2位の賞金の額は桁が違うから、決勝戦は必死です。「この1球が100万円!」と心の中で叫びながら試合に臨んでいました。あの頃、貯金を投げ打ってコーチを雇っていなければ、今の私はいません。