筆者は、彼女が言い間違いをしたのかと思い、「プレリタイアって?」と聞き返した。
彼女は、これは自分と夫が作った言葉だと説明した。マンハッタンの喧騒と忙しさを逃れ、ニューヨーク州北部の牧歌的な土地に移り住んだ自分たちの新しい穏やかな生活を表現するための言葉なのだという。
「時々仕事のカレンダーをチェックして、可能なら、ランチタイムにカヤックをする」と彼女は続けた。「何年も都会で働いていたけど、いまは完全にリモート勤務になった」と認めた彼女は、ちょっと申し訳なさ気にも見えるが、満足そうにも見える。そういった感じで、彼女は納得しているようだった。
彼らの生活ぶりは、筆者の今の生活、つまり、週5日の学校勤務、授業の合間にタッパーウェアに詰めたランチをかきこむ日々と比べれば、夢のように聞こえる。
ただ、筆者も州北部に家を持ち、実際の引退へのカウントダウンを始めている。ある意味では筆者も、無意識のうちに徐々に定年退職の準備をし、ビルよりも木々に囲まれた新しい生活に移行してきた。
定年退職まで、あと数年だけだ。それが終われば、至福の時が待っている。もう医療保険のことを考える必要はないし、早起きもない。ハイキングとハドソン川だけ。なんてのどかな生活なんだろうと筆者は思った。しかし、長年忙しく働き続けてきた自分に、ただ座ってくつろぐことが本当にできるのだろうか?
これは筆者が計画してきた夢なのだが、それが現実になろうとしている今になって初めて、こうしたライフスタイルの激しい変化に、自分が本当に準備ができているのかどうか、疑問に思い始めている。教職を離れる準備ができているかという問いについては、「もちろん!」と答える。しかし、本当に引退する準備ができているかという問いについては、最近はよくわからなくなっている。
新しい仕事の可能性はたくさんある。まずは、どういう可能性があるのか見てみたい。もしかしたら、新しい仕事に就いて、新しい自分を目指すかもしれない。もしかしたら、カヤックを始めるかもしれない。
この23年間で初めて、筆者は、たった一度の貴重な人生で自分が何をしたいのかを考え直すことになった。有頂天になっている自分もいるが、恐れでいっぱいの自分もいる。
仕事を探すことを考えると、大学を卒業する直前の、自信過剰だった自分を思い出す。当時は、ニューヨーク・タイムズ紙の求人広告を何時間も見て回った結果、大学では将来有望だと思えたコミュニケーションの学位が、実生活の仕事にはまったく役に立たないことに気づいただけで終わった。
新しい仕事についての疑念
筆者は、新しい仕事に馴染めるだろうか? 新しい労働環境とはどのようなものだろうか?筆者は年齢で自分を制限したことはない。自転車に乗れるようになったのは24歳の時だったし、自著が出版されたのは40代になってからだ。そして、50代になっても夢の追求をやめるつもりはない。ただ、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミック以降の新しい社会で、それがどのように実現されるかについては考えなければならない。