実は、筆者は教師になるつもりはなく、もっとクリエイティブな仕事をするつもりだった。だが、2001年9月11日に米国同時多発テロが起こり、なんとしても仕事を探す必要に迫られた。海外で教壇に立った経験があったので、中学校の面接を受け、驚いたことにすぐに採用された。
教師の仕事を長く続けるつもりはなかった。この仕事が好きになるとは思っていなかったが、好きになった。とはいえ、50代での引退は、経済的には可能だが、物足りなさが残る。都会に通勤するストレスに見切りをつける準備はできているが、フルタイムで家にいる準備はできていない。次はどうしよう?
筆者は、生活全般の変化について、少し神経質になっている。時には、怖いと思う感情もいいものだ。
この先のことを考えると不安が生まれるが、同時に希望も湧いてくる。筆者は若い頃には、目の前にあるたくさんの選択肢の中から、自分が本当に望むキャリアを追求するチャンスを得ることができなかった。ようやくそれができるようになるわけだ。
「プレリタイア」にゆっくりなじむ
筆者は起業家になるかもしれないし、最終的には小説や脚本を書くかもしれない。あるいは、しばらく休んで、また海外で暮らすかもしれない。まだ決めかねている。その間に、筆者は「プレリタイア」になじむつもりだ。何か授業を受けて(教師は最悪の生徒になると言われているが)選択肢を探し、外に出て自然の中で過ごそう。自然は、最近の筆者にとって最大のパワーの源だ。
子どもの頃は、担任の先生が休むと、最初はワクワクするが、それが数日続くとそうでもなくなる。そして担任の先生が休暇をとっている時には、先生や日常が恋しくなることもある。
20年以上も教師をしてきた今、教師を辞めたとき、自分は一体どうなるのだろうと思う。つまり、子どもたちのやる気を引き出すために早起きすることがない自分、学校で使う道具があふれるほどに詰まったトートバッグを抱えていない自分だ。
少し不安だが、新しい自分を見つけるのはワクワクする。
だからこそ、プレリタイアを楽しみたいと思う。
(forbes.com 原文)