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2024.08.30 16:00

正直であることが、自分を変えてくれる|石田沙綾子<電通グループで働くネクスト・クリエイターの肖像#12>

日本国内の電通グループ約150社で構成される「dentsu Japan」から、ネクスト・クリエイターの目覚ましい仕事を紹介していく連載企画。

今回は、アートディレクションの最先端を歩み続け、現在は電通デジタルに所属している石田沙綾子が登場。Forbes JAPAN Web編集長の谷本有香が、彼女のアートディレクションに迫る。


感じることがすべての始まりだ。

本記事には「感じていました」「感じられました」といった言葉が数多く並んでいる。

電通デジタルに所属するアートディレクターの石田沙綾子は、正直に感性に従うことで、さまざまな領域にフィットしてきた。

感じることでデザインの道に進み、日本を飛び出して学び、ビジネスデザインをし、デジタルを楽しみ、AIまで足を踏み入れてきた。

正直に感じることができるなら、人間は自分を変えていける。
自分のみならず、世界を変えていける。

周囲から感じた違和感と嫌悪感を自身の創造性の糧に

谷本有香(以下、谷本):石田さんの肩書きは「アートディレクター」ですね。電通のアートディレクターになるようなクリエイティブな人が、どのような青春を過ごしてこられたのか、大変興味があります。冒頭から変な質問で申し訳ないのですが、お聞きしてもいいですか?

石田沙綾子(以下、石田):真面目な優等生でした。さらに苗字が「い」から始まるので名簿順的に目立ってしまい、学級委員や生徒会などを押し付けられていました。そしてそれも致し方なしと受け止め、真面目に過ごす毎日でした。

その瞬間の感覚だけは今でもクリアに思い出します。高校2年生の学級委員決めのときです。また押し付けられるのかなあと憂鬱になっていたところ、突然たくさんの子がハイハイハイ!と立候補に挙手したのです。それは進学に向けて内申点を上げるためでした。

あからさまな手のひら返しに、人間関係や頑張ってきたことが一気に冷めちゃって。と同時に、「ここに居てはいけない」と強く感じました。この環境のまま進むと周りと同じような嘘の人生が始まるんだなと。その瞬間が自分で道を選ぶようになった転換点です。

谷本:受験期からあらわになり、教室に充満していった虚偽性や欺瞞性。そうした空気感に触れた際に、自分も同じ性質に染まっていくのか、それとも違和感や嫌悪感を抱いて離脱していくのか——。

実際のところ、温度や濃度の差はあれど、多くの生徒が染まる方向へと流れていくのでしょう。しかし、石田さんは違ったのですね。

石田:かなりすっきりした感覚で、道を外れてしまいました。

谷本:石田さんが抱えた感情は違和感や嫌悪感と言っていいものだと思うのですが、これらは人間が何かを始める動機として、かなり強度の高いものにもなり得ますよね。もっと言うなら、創造的なひらめきの源泉にもなり得ます。

周囲から感じた違和感と嫌悪感からある種の着想を得て、自身の創造性の糧にしていくというプロセスは、多くの芸術家や起業家が経験しているものです。つまり、人間は「好きなもの」はもちろん、「嫌いなもの」さえもポジティブに活用できるのだと思います。

石田:結果美大への決断ができたので、トリガーを引いちゃった同級生には感謝かもしれません。世間体の良い大学は捨て、好きだったデザインを信じ、「好き」と「嫌い」の両方に衝き動かされ京都市立芸術大学のデザイン科に進学しました。
電通デジタル 石田沙綾子

電通デジタル 石田沙綾子

ポジティブでオープンなマインドセットも得られた英国留学

谷本:美大卒業後、石田さんが電通に入社したのは、どのような想いがあってのことですか?

石田:大学時代も自分の価値観が合う場所を探していました。美大が狭いと感じたら立命館大学や京都大学の方と一緒にウェブサイトを立ち上げたり、いろんな価値観がある場所に行ったり来たりしながら、徐々に広告がいいなと思い始めました。ひと言で表すなら「バランスの良さ」です。

「社会との関わりをもちながら、美しいものを創ることができる」と感じられたのが、電通を受けた動機です。京都の小さな大学だったので大きな結果をもっていかないと電通には受からないと思い、大学時代からたくさんのコンペに出品し、毎日広告デザイン賞の優秀賞を獲ったりしていました。

谷本:毎日広告デザイン賞には、どのような作品を出したのですか?

石田:お題は新潮社の「決定版 三島由紀夫全集」です。ビジュアルは、夏祭りで見かけるお面の屋台を自分で写真に撮り、そこにあるたくさんのお面をすべて三島さんの顔に差し替えたもの。つまり、新聞の全30段が三島さんの顔だらけ……。

そのビジュアルに対して、「素通りできない」とコピーを自分で考えて新聞広告の体裁にまとめて応募しました。

夏祭りの熱い雰囲気と三島由紀夫の世界観が、当時の自分のなかで符号していたのだと思います。今ならこれでは応募しませんし、もう感性だけでつくったようなもので、よくこれで受賞できたなと思います(笑)。

そして電通に入社するわけですが、確か、私の大学から電通に入社する生徒が出たのが十数年ぶりとかでした。入社対策は全て自己流でやるしかなかった。そんな田舎っぺを入社させてくれた電通の「フトコロの深さ」や「前例を踏襲しない態度」を感じて以来、私はずっと電通が好きで感謝し続けています。

谷本:それでは、電通に入社後のキャリアの変遷について聞かせてください。

石田:入社後は温かく育てていただきました。なかなか自分のアイデアが採用されなくて苦しい日々も過ごしましたが、現在まで続く人脈を築かせていただいたり、仕事の仕方を覚えたりと充実していました。

しかし、会社を代表するようなスーパーアートディレクターのもとで学び、デザインで社会問題を解決しようとしている先輩から教えを受けて発想の幅を広げたりするなかで、そうした先輩方が歩んできた成長曲線をトレースしているだけでは、いつまで経っても差を縮めることはできないということも感じました。

「何とかしなきゃという危機感」が芽生えていました。それに加え私は学生時代からバックパッカーでしたので、いつか海外に住みたいという好奇心が残っており、この危機感と好奇心の相乗効果が私を向かわせた先がロンドンでした。

2007〜09年まで私費で英国に留学しています。これは、まさに電通という会社のフトコロの深さが後押ししてくれて実現しました。

どうやら、電通でクリエイティブ職から私費留学するのは私がはじめてだったらしく、大変に忙しい最中、たくさんの上司が会社の上役と交渉してくれました。この辺りも、「前例がないからとの理由で無理」と決めつけない電通らしいところだと感じています。

谷本:留学先の英国では、どのような勉強をされたのでしょうか。

石田:1年目は語学に集中して、2年目にロイヤル・カレッジ・オブ・アートのポストエクスペリエンスプログラム、コミュニケーション・アート&デザインというデパートメントに通いました。
 左:Fischli Weissをオマージュした「ロンドンで東京を感じる方法」 右上:Filmの授業 右下:Bookbindingの授業

左:Fischli Weissをオマージュした「ロンドンで東京を感じる方法」 右上:Filmの授業 右下:Bookbindingの授業

同校は先進的な大学院大学なのですが、意外にも物事の「始まり」や「そもそもの仕組み」について学ぶことを大切にしていました。フィルムの授業では16mmフィルムに直接絵を描いたり、骸骨に粘土で一筋ずつ筋肉をつけていったり、本を紙からつくったり、木版の活字も刷ったり。プリミティブな授業が多かったです。

谷本:日本を飛び出してみてよかったなと思えたことはありましたか。

石田:とてもポジティブになれたことです。そもそも、誰もが大きく違っているので小さなことを気にしていても仕方がないというか——。あとは、みんなの素養が高くて謎作品にもずっと議論している感じとか、何かを展示したらすぐに反応があるとか、人間的に豊かだなと感じていました。

それから、大学自体が可能性のために開かれていて。入り口が大きなギャラリーだったり、アートバーでは自分のプロジェクトのパートナー募集などしていたり。

仕組みも人も行動的でした。それを自分の目で見られたことは宝です。

「経営やビジネスの領域」に電通のクリエイティブの力を

谷本:日本に帰国してからは、どのような道へ進まれたのでしょうか。

石田:日本に帰ってきた09年のタイミングで社内に「電通ビジネスデザイン・ラボ」という組織が発足し、その立ち上げメンバーになりました。

「電通ビジネスデザイン・ラボ」は、電通が有している広告クリエイティブの力を「広告・コミュニケーション領域」だけでなく「他の領域」に応用・拡大するために始動しました 。当然ながら、そこには電通のビジネス自体を新たに創造・拡大していくという狙いもあったと思います。

谷本:その2つの意味で「ビジネスデザイン」という名称が付けられていたのですね。09年当時、石田さんは広告クリエイティブの力を「他の領域に展開する」という考え方について、どのような見解をおもちだったのでしょうか。

石田:ロンドンでもアーティストやデザイナーがビジネスコンサルティングの会社に入っているのを見ていたので、「アートとビジネスの融合」や「アートと企業のコネクションの自由さ」に大きな拒否反応はありませんでした。

谷本:つまり、「アートディレクター」という肩書きの自分だからこそ、経営やビジネスの領域においてできることがある。そのようにポジティブな捉え方がすでにできるようになっていたわけですね。

石田:とはいえアートディレクターにビジネスの壁は厚く感じられたので、場数を踏むことで徐々に慣れてきたという感じです。

谷本:その「電通ビジネスデザイン・ラボ」では、どのようなプロジェクトに取り組まれたのでしょうか。

石田:11年の震災の年には毎週東京都民の方々とアーティストが話しながら超巨大なスケッチブックに未来をスケッチするプロジェクトを行いました。またある企業の方々とは一体感醸成のため絵の具まみれになりながら巨大なプロジェクトフラッグを描くこともしました。Hino Brewingさんのクラフトビールのパッケージデザインの仕事も印象的でした。

オンラインでホワイトボードを映しながら、その場でラベルの貼り付け方法などを含めたデザインシステムを描き議論しました。商品への愛情やコンセプト、生産に関わる手間暇などを直接聞いて一緒に考えられる場を通すことで良いデザインが生まれます。美味しいのでぜひどうぞ。


そのころは企業の方含めさまざまな方との共創、ワークショップに多く携わっていました。英国留学以前の私は企業内部の方々をプレゼンの相手としてどこか遠く感じていたところがありましたので、「一緒になって頭を働かせる」「一緒になって手を動かす」というコラボレーションワークがとてもエキサイティングに感じられていました。

谷本:コラボレーションワークに創造的興奮を感じていたのは、石田さんだけではないと思います。企業内部の方々も、きっとそうだったでしょう。

異なるマインドセットやスキルをもつ人同士が組み合わさるとイノベーションが起きやすい——。これは印象論ではなく、国内外の多くの研究結果によって裏づけられています。
「電通ビジネスデザイン・ラボ」を通じて09年から企業に対してオープンイノベーションの働きかけを行ってきた電通は、やはり先進的だと思いますね。

石田:「電通ビジネスデザイン・ラボ」は組織的変化を続け、気がつくと私は14年に「電通ビジネスデザインスクエア」という組織におり、クライアント企業の「社内風土改革」や「新規事業創造」のサポートに関与するようになっていきました。

谷本:そのようなお仕事の内容について、もう少し具体的に教えてください。

石田:企業においてビジョンを掲げることは大切です。しかし、どれほど意義のあるビジョンが策定できたとしても、それが社内に浸透していって世に出なければ絵に描いた餅で終わってしまいます。

クラシエさんとはもう6年ご一緒しています。CRAZY KRACIEというビジョン浸透にコミットする社長直轄組織「CRAZY創造部」の設立をはじめ、かなり内部にまで入り込ませていただき、夢中を観測する研究所をサポートしたり、最近ではCRAZY文化を推進するアンバサダー社員の可能性をAIで可視化したWebサイトなどで伴走させていただいています。


デジタルも武器にして「人の想いの融合」も果たす

石田:「電通ビジネスデザインスクエア」も楽しかったのですが、経営や戦略領域の仕事が多くなり世の中との接点が薄くなってきたバランス感の悪さに、コロナ禍でのデジタルシフトした生活の変化が加わり、「デジタルクリエイティブの重要性と面白さ」を強く感じるようになりました。

そのため20年に志願し、デジタルのプロフェッショナルが集まる電通デジタルへと異動しました。

谷本:確かに、これまでの石田さんの感性と経験にデジタルのプロフェッショナル性が掛け合わされたら、「アートディレクターの強み」としては、もうラスボス級になりますよね。電通デジタルに出向してからは、どのようなお仕事を手がけられたのでしょうか。

石田:どの世界も深くて、ラスボスの入口にも辿り着いておりません(笑)。電通デジタルの仲間は若く、スタートアップ精神に溢れています。役員にも社内コミュニケーションツールで気軽に話しかけて良いですし、返事は絵文字リアクションでOK。失敗もシェアする。新しいツールをすぐにみんなで試す。フラットでクイックなカルチャーこそがデジタルでした。

谷本:もはやカルチャーであることすらも超えて、ひとつのウェイ・オブ・ライフにまでなっているような気もします。

石田:そうした中で、私も一からチャレンジし直そうと社内コンペに応募し、選ばれたのがスポーツのスポンサー制度を民主化する仕組み「People-Sponsored Logo」です。日本パラ・パワーリフティング連盟様に実際に採用していただきました。

谷本:「スポーツのスポンサー制度を民主化する仕組み」という言葉は、実にキャッチーな響きがありますが、どのようなものでしょうか。 

石田:個人がクラウドファンディングで支援した後、名前、色、フォントを選択するだけでAIが個人スポンサーロゴを提案してくれ、その個人ロゴが企業ロゴのようにパラ・パワーリフティング選手のユニフォームに配置される仕組みです。

日本のパラアスリートが世界で活躍できるようにという個人の願いを込め、ロゴは幸福をもたらす日本の文様をベースにデザインしました。そのロゴがユニフォームに集まることによって、応援者の想いがまるで着物のように美しく調和する仕掛けになっています。


谷本:誰かを応援したいという気持ち。日本文化の素晴らしさ。立場を超えてつながり合うことの意義。これらの抽象的概念をひとつのビジュアルとして見事に集約し、形にしていますね。まさにエクセレントなアートディレクションだと感じます。

石田:私にはかつて、生まれ育った京都が有する伝統的な価値観への反発がありました。この狭い場所から抜け出したいという想いも抱えていました。そんな私が海外も含めてさまざまな経験を重ねてきたことで、ようやく日本の伝統へと回帰できました。

谷本:しかも、デジタルという最新の道具を最大限に利用して……。このクラウドファンディングに見られる「伝統と革新の融合」「人の想いの融合」に、私は大きな希望を感じます。
Forbes JAPAN Web編集長 谷本有香

Forbes JAPAN Web編集長 谷本有香

* * *
最後に石田沙綾子に、どうすれば感性を残せるのかを聞いた。

最近ようやく若者の気持ちがわかってきたという。勉強もしたが、大きいのはデジタルの部署で若者とリアルに戯れているからだ。読んでの通り、石田はイノベーターではない。経験したどの領域も先駆者がいる。ポイントはその領域が「面白そう」とシンプルに感じたときに、実際に足を踏み入れてみることだ。

時代が強制的に変わったり、新しいことを学んだり異動することで、自分ならではの感性は自覚され、育っていく。重要なのは体感することだという。

石田は過去にグロービス経営大学院でも学んでいた。今、アートディレクターはビジュアルをハンドリングするだけではなくなり、企業の経営層のベストパートナーにもなり得る存在になった。そうした職域進化のなかにいるのが石田沙綾子である。

5年後、あるいは10年後、さらなる進化を遂げたアートディレクターに会えるのが今から楽しみだ。

 
dentsu Japan
https://www.group.dentsu.com/jp/

いしだ・さやこ◎京都市立芸術大学のデザイン科を卒業後、電通に入社。アートディレクターとして広告制作に携わった後、英国に私費留学。帰国し、電通内に新しく創設された「電通ビジネスデザイン・ラボ」に参画。その後「電通ビジネスデザインスクエア」にて、経営やビジネスの観点を有した共創型コンサルティングに従事。2020年、電通デジタルに出向。

Promoted by dentsu Japan / text by Kiyoto Kuniryo / photographs by Shuji Goto / edited by Akio Takashiro

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