30U30

2024.08.23 13:15

SHUZOがアジア進出を発表。「世界中の心を掴むDJに」

SHUZOこと大平修蔵

8月20日、大平修蔵のアジア進出が発表された。大平は、音楽名義「SHUZO」として日本人で初めて中国北京拠点のエージェントRYCE ENTERTAINMENTとアーティスト、DJ、モデル契約を締結した。

「世界を変える30歳未満」の30人を選出するアワードForbes JAPAN 「30 UNDER 30 2022」の受賞者でもあるSHUZOは、その後どのように「世界」を目指してきたのか。アジア進出を控えたSHUZOに聞いた。



——2022年に「30 UNDER 30」を受賞したときは、SNSを始めて2年。短期間で世界的スターになったSHUZOさんは主にモデルや俳優として活動していました。そこから、今年3月には〈SHUZO〉名義で音楽プロデューサー兼DJとしての活動をスタート。音楽活動に挑戦したのはなぜですか。

この数年、モデル活動を主軸にしつつ、いろんな国でDJ活動をしていたんです。それを経て、音楽活動で新たな世界を切り開きたいと強く思うようになりました。

ファッションに関する仕事はとてもクリエイティブではありますが、モデルは自分が洋服をデザインしたりつくったりするわけではありません。表現者として「どのように魅せるか、伝えるか」を常に考えてきましたが、しだいに自分も「何か形に残せるものをつくりたい」と思うようになりました。

特にDJをしているときは、自分のパフォーマンスでたくさんの人が喜んでくれているのを目の当たりにできます。それがすごくうれしくて。例えば、アルトン・メイソンという黒人のメンズモデルとパリでやったイベントでは、アフリカンなアフロビートやアフロハウスを流して会場が大いに盛り上がりました。

——音楽への興味はいつから?

幼少期から音楽が好きで、日常的に聴いて育ちました。最初はジャスティン・ビーバーとかポップス系の音楽を聴いていて。そこからジャスティンとコラボしたスクリレックスが好きになり、EDMやHOUSEに傾倒していきました。

高校生のときにニュージーランドに留学したのですが、留学中は友だちの影響でヒップホップを聴くようになり、帰国後には日本で日本語ラップが流行りだしたころだったのでそのまま日本のヒップホップにも触れるようになって。

20歳になったころから自分でもDJをやるようになりました。僕にDJを教えてくれたのは、DJ DARUMA&JOMMYのジョミーさん。DJスキルだけなく、最先端の音楽も学びましたね。
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文=久野照美 取材・編集=田中友梨 撮影=Unknownknowns Inc

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