経済・社会

2024.08.14 14:15

スタンフォード大日本人コーチが考えた「日本にも絶対チップ制必要」な理由

スタンフォード大学アメリカンフットボール部コーチ、河田剛氏。コーチ業の傍ら、シリコンバレーで日米双方のスタートアップのサポート/アドバイザーを務める

2007年、アメリカに来た当初、同僚のアメリカ人達の空っぽで根拠のない(日本人からしたら)、いいかげんかつ軽い発言が嫌いだった。わからないこともわかったように話すし、できないことも大風呂敷を広げてできるようなことを平気で言う。

今考えれば、嫌いというよりは、「慣れなかった」というべきなのかもしれない。もちろん「一時が万事」とは言わない。だが、できるだけ恥をかかないように間違いを避けさせるような、良くも悪くもグレイゾーンの少ない社会で育ってきた筆者にとって、それが「文化の違い」であることを理解するまでには約10年を要した。

実は冒頭の彼らの言動傾向は、ただアホなわけでも、思慮が浅いわけでも、虚言でもなかった。optimistic (楽観的)な言動であり、かつ「行動を先にして後から考えるアメリカ人と、(失敗が恐いが故に)考えることを先にしてなかなか行動をおこさない日本人」の違いだったのだ。

同様に、10年以上の歳月をかけて、やっと理解ができた上で、我が国もそうするべきでないか?という話を、今日は読者の皆様にシェアしたい。

「チップおいてってよ!」

2007年の夏からカリフォルニアで暮らし始めて、数カ月経ったある冬の日。近しい日本人の友人と近所の韓国料理屋に行った時のことである。

どんな理由であったかは忘却の彼方であるが、その日の支払いは、私が食事代を、友人がチップを、という割り当て約束であった。それで、私が食事代の30ドルを、その友人が私が席を立った後で、5ドルぐらいのチップをテーブルに置いて店を出た──はずだったが、店内から2人の女性、おそらくレジの担当と、我々のテーブルの接客担当(サーバー)が私たちを追いかけてきて、比較的強めの口調で「チップおいてってよ!」と言うではないか。

GettyImages

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我々は足を止めざるをえなかった。なにも彼女たちのサービスが悪かったからチップを置いていかなかったわけではない、友人が、それをケチろうとしただけである。友人がシブシブ現金を渡しながら「ごめん、忘れてた」とバツの悪そうな顔をしたのを、昨日のことのように覚えている。

その数日後、現地の飲食店で働く友人に聞いてみた。

1.どうして彼女たちが「鬼の形相」と言わんばかりの勢いで我々を追いかけてきたのか?

2.どうして(日本で今まで受けてきたサービスと比較して)低レベルのサービスにチップを払わなければならないのか?

一つ目の質問に対する答えは、「彼女たちにとって、チップはばかにならない収入だから」であった。言葉を変えれば、1日の収入におけるチップの割合はばかにならないくらい高いというのである。

具体的に計算してみよう。一日のチップの総額をその日のサーバー、もしくは従業員の数で割った数が、時給に上乗せされて支給される仕組みらしい。

仮に10人のサーバーで、1日当たり20万円の売上とし、チップの暫定を(多く見積もって)25%とすると、その総額は5万円となり、一人当たり5000円が1日の給料の総額にプラスされることになる。エリアにもよるが、それをカリフォルニア州の最低賃金に合わせると、時給は16ドルなので($1=160円と換算して)2560円。営業時間を5時間として、その日の給料が12500円と換算すると、実に約40%がチップからの収入として上乗せされることになる。そりゃ、追っかけてくるわ……である。

Flashpop/GettyImages

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さて、筆者が今回最も強調したいのが、二つ目の疑問に対する答えである。こちらに暮らし始めた当初は、上記の2.のように、「どうして(日本と比較して)こんなレベルの低いサービスに……」とチップを払うたびに考えていた。結論から言ってしまおう、2024年7月末でまる17年、アメリカと日本のサービスや文化的違いを目の当たりにし、肌で感じ、比較してきた私が導き出した答えは「日本にもチップは必要だ」である。
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