事業承継総合メディア「賢者の選択 サクセッション」から紹介しよう。(転載元の記事はこちら)
近江八幡の商人 地元の人々に親しまれた「たねや」
1872(明治5)年に誕生した「たねや」は、江戸期は材木商で、その後は肥料の種を扱っていました。菓子屋に商売替えをしても、地元の人が「あれは種を売ってたから『たねや』や」と呼んでいました。そこで、「地元の人に名前をつけてもらったから大事にしよう」と、菓子店になっても社名を「たねや」としました。ただ、「創業当時の当主は少々恥ずかしさを感じてたみたいです」(山本氏)。
創業以来、たねやは山本家が家族経営を続けてきました。4代目の山本昌仁氏がたねやを継いだのは2011年です。
山本氏の就任後、2011~23年の売上げの推移は、20年のコロナ禍で売上げを落としたものの、他は右肩上がり。22年は創業以来最高となる200億円を達成しました。
創業以来、味は変わり続けている
たねやを象徴する品に、創業当時から親しまれる主力商品「栗饅頭」があります。伝統の商品ですが、砂糖や栗の量が創業当時と全く異なっています。全ての品は、当主ごとに味が変わっているといいます。
山本氏は「伝統は守るものではなく続けるもの。続けるためには、今の時代に合ったものを創造する必要がある」と語ります。一例として「昔、自動販売機で水が販売されるなんてあり得なかった」点を挙げます。
そして、「お菓子は手法であり、枝葉である」とし、「枝葉は時代ごとに移ろい、いろいろな花を咲かせればいい」と話します。その時代に見合った「おいしい」菓子が、時代ごとに咲く「花」だといいます。
色とりどりの「たねや」の花とは
「花」の一つが、グループ会社「クラブハリエ」のバームクーヘン。1951年創業のクラブハリエは、たねやの洋菓子部門として始まり、日本における「高級ブランド」バームクーヘンの先駆けとなりました。また、和菓子が主力の「たねや」にも「たねやカステラ」という人気洋菓子があります。見た目とフワッとした食感は、一般的なカステラと全く異なります。山本氏は「これが和菓子の技術。少しやり方を変えるだけで違うものに変化するんです」と胸を張ります。
2015年には近江八幡市に「ラ コリーナ近江八幡」をオープンさせました。小川や田んぼなど日本の原風景を再現した敷地内には、「たねや」の全商品が勢揃いし、できたてを味わえるほか、職人の製作工程が見学できます。今では年間400万人の来客を見込み、滋賀県ナンバー1の観光スポットになっています。
たねやの根本精神を伝える「柿の色」の冊子
こうした多彩な「花」を咲かせる一方で、山本氏は「変えてはならないものもある。その分別をしっかり大事にしないとダメ」とも強調します。それは、山本家が、江戸期からずっと大切にしてきた根本精神だといいます。山本家には、「末廣正統苑」というオレンジ色の冊子があります。和菓子の原点は「柿の甘さ」にあることを忘れないため、柿がイメージできるオレンジを採用しています。この冊子が、たねやの「バイブル」です。