2024.08.02 11:45

ウランバートルでは箸を使わない!? 意外すぎるモンゴルの食の現在

民族衣装をモダンにアレンジした制服を着て接客(アルタンガダス・レストラン)

民族衣装をモダンにアレンジした制服を着て接客(アルタンガダス・レストラン)

7月上旬、モンゴル国の首都、ウランバートルを訪ねた。この国が、のどかな「羊と草原の国」と称されることは、成田空港から4時間半ほどで着くチンギスハーン国際空港から市内に向かう車窓の風景を目にすれば、誰しも実感することだろう。
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フライトの遅れで夜9時過ぎにチンギスハーン空港に着いたのだが、ウランバートルに向かう幹線道路の周囲にはこのような草原世界が広がっている

フライトの遅れで夜9時過ぎにチンギスハーン空港に着いたのだが、ウランバートルに向かう幹線道路の周囲にはこのような草原世界が広がっている

だが、ウランバートルは、そんな雄大なイメージを見事なまでに裏切る現代都市であり、急速にグローバル化が進行しているのも、もう一方の事実である。

こうした草原と都市という2つの顔を持つことが、現代モンゴルの魅力と言っていいと思う。

2年前にこの地を訪ねた折は、市内を歩いて見つけた外国人ツーリスト向けのモダンなレストランに足を運んだ。その見聞が東京に数あるモンゴル料理店を訪ね歩いたとき、背景知識として参考になった。
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それは都内のモンゴル料理店には明らかに2種類の異なる世界があり、中国内蒙古出身のオーナーの店とモンゴル国ウランバートル出身の店では、提供される料理や店の雰囲気が違うことだった。

いったいどうしてなのか。そこで今回は、もっと地元の人が通うようなローカルな店を訪ねてみたいと考えていた。店選びは、現地で20年近く駐在しているHISモンゴル代表の原田紀さんが、地元スタッフにヒアリングして調べてくれた。

モンゴルのロシア風料理はコメコン料理

そもそもウランバートルの人たちは日常的にどのようなものを食べているのだろうか。結論から先に言うと、今日の日本人には想像できない意外なメニューも多く、そこにこそモンゴル社会の現在の姿があったのである。

最初に訪ねたのは、まさにモンゴルの地元メシというべき街場の食堂だった。「マンダフ・ゾーギーンガザル(Mandah zoogiin gazar)」という名の店は、ウランバートルの国会議事堂裏手のオフィス街にある。平日のみ営業で、客層は若いオフィスワーカーたちだ。

「ゾーギーンガザル」はモンゴル語の食堂という意味で、店の雰囲気はロシアの大衆食堂の「スタローバヤ」によく似ている。その日のメニューがカウンターの頭上の黒板に書かれていて、そこから選んで料金を先払いするしくみである。

ウランバートル市内のオフィス街にある食堂のメニュー(マンダフ・ゾーギーンガザル)

ウランバートル市内のオフィス街にある食堂のメニュー(マンダフ・ゾーギーンガザル)

こざっぱりと清潔な店内で、周辺で働く若いオフィスワーカーが利用(マンダフ・ゾーギーン ガザル)

こざっぱりと清潔な店内で、周辺で働く若いオフィスワーカーが利用(マンダフ・ゾーギーン ガザル)

現地ガイド氏が選んでくれたメニューは次のようなものだった。

ウランバートルの人たちがランチで食べているメニューにはロシア風料理が多い

ウランバートルの人たちがランチで食べているメニューにはロシア風料理が多い

(手前から時計回りで)
ピロシキ
バンシタイシュル(Банштай шөл)餃子入り野菜スープ
ニースレル・サラトゥ(ポテトサラダ)
ボルシチ
レーズンジュース

そうなのである。モンゴルの一般食堂ではモンゴル料理に加え、ロシアの大衆料理がふつうに提供されているのだ。

現地で旅と取材のコーディネートを行うモンゴルホライズン代表の山本千夏さんはこう説明する。

「モンゴル人の今日の食生活は、1949年にソビエト連邦主導のもとで結成された経済協力機構であるコメコン(COMECON)に加入したことの影響が大きいです。コメコンは社会主義圏で多国間の経済協力や生産技術の交流を進めたもので、モンゴルではソ連人技術者の指導のもと工業化が進められました。また多くのモンゴル人がソ連や東欧諸国に留学したのです。

コメコン諸国の社会経済体制は、国境を超えた一律のシステムで、食堂やホテルのレストランはもとより、工場や学校、企業、役所の職員食堂なども、ほぼ共通のレシピとメニューが採用されました」

次ページ > モンゴルの食堂における『ロシア風料理』は、『旧ソ連料理』『旧コメコン料理』

文=中村正人 写真=佐藤憲一(取材協力/JICAモンゴル、HISモンゴル)

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