編集者として確かな実績を築いてもなお次々と新しいことに挑戦し、2023年には絵が描けなくても漫画のネームがつくれるアプリ「World Maker」を企画するなど、活動の領域を広げている。
学生時代は、クラスで回し読みする形ですべての少年誌と青年誌に目を通し、小説や映画などのエンタメコンテンツにも全般的に触れてきたという林だが、意外にも漫画編集者になりたいと思ったことはなかったという。
何を思って漫画編集者となり、その才を開花させていったのか。8月23日発表の「世界を変える30歳未満」を選出するForbes JAPAN 30 UNDER 30のアドバイザリーボードを務める林に、U30時代の話を聞いた。
なぜ漫画編集者になったのか
「集英社に入社したのは、単純に給料が高かったからなんです。就活生のときには給料が高いと言われる会社を業界にかかわらず受けていて、出版社は集英社だけでした」就職先の選定基準が「給料の高さ」だけだった理由は2つある。ひとつは、「“どこで働きたい”という希望が特になかった」こと。もうひとつは父親の影響だった。
「父親に、ずっと2~3年で会社を辞めろと言われていたんです。僕の両親は台湾の出身で、父が東大医学部の大学院に入学するタイミングで結婚し、東京に移住しました。父は博士号を取得して、そのまま日本の病院に就職したのですが、そこで何か嫌な思いをしたのでしょうね。僕たち子どもには、『就職するのはいいけれど、林という名前、台湾人という立場を考えれば、どこの会社でも出世しないだろう。だから、早いうちに自分で稼げる手段を確保しなさい』と言っていました」
そこで林は「どうせ数年で辞めるのだから」と、就活を「大人が手の内を晒してくれる珍しい機会」と捉え、社会見学のような気軽さでいろいろな会社を受けた。
「落ちても構わなかったから、何でも質問しました。例えばテーマパークを運営する企業には、地震保険をいくら掛けているか聞きました。そうしたら、『10カ月分くらいの運営費までは賄えるように保険を掛けている』と言われて。でも、阪神・淡路大震災級の大規模地震が来た際に10カ月で運営を再開できるのかと問うと、『できない』と。じゃあ僕が入社してすぐ地震が来たら、何カ月も職を失いますね、という話になりました(笑)」
面接官にとっては、異質な就活生だっただろう。林はこうしたユニークな着眼点と鋭い質問のせいか、気づけばいくつもの大手企業の内定を手にしていたという。
「入社試験の受け答えに正解なんてない。基本的に印象試験だから、目立った者勝ちなんですよね。僕の時代は、皆気に入られようとして無難なことを言っていたけれど、それは戦略ミスだと思っていました」