今年2月の東京ドーム公演を最後に、惜しまれながら解散したBAD HOP。クルーの頭脳・YZERRは、ラッパーを引退し2社を起業。新たな夢を追いかける。
「貧困に苦しむ人々の感情を、僕たちの曲が揺さぶったことはあるかもしれない。一方で、本質的に貧困を解決したことはまだ一度もない。自分自身が音楽を続けるよりも、それを辞めてより大きなビジネスを動かすほうが、貧困を救える度合いが高いと気付いたんです」
貧困問題の色濃い地域で育ったヒップホップクルーBAD HOPのリーダー、YZERR。人気絶頂のなか2月にラッパーを引退し、今度は起業家として、本格的にビジネスに挑む。
川崎から東京ドームへ
栄光のキャリアの始まりは、さかのぼること10年前。神奈川県川崎市南部、京浜工業地帯の付近に住む幼なじみ8人を中心に、BAD HOPは結成された。貧困と暴力、非合法のシノギがまん延する環境のリアルを歌い、ラッパーとして破格の成功をつかんだ。彼らは間違いなくここ10年の日本のヒップホップ市場の開拓者であり、ヒップホップゲームの王者だ。近年、日本の音楽市場においてヒップホップが存在感を増している。ストリーミング・チャートでも上位にラッパーの楽曲が食い込み、2022年には幕張メッセを会場にした「POP YOURS」や野外音楽フェスの「THE HOPE」といった、動員数が数万人を超える大型ヒップホップフェスがスタートし、軒並み好調だ。
24年2月、ムーブメントの立役者であるBAD HOPは解散ライブである「BAD HOP THE FINAL at 東京ドーム」開催。40年以上も続く国内のヒップホップの歴史で、ドーム規模の公演を実現させたグループおよびアーティストは彼らが初だ。東京ドームの暗闇に浮かぶ5万人のスマートフォンの光が、メンバーや客演のラッパーたちの並び立つステージへ向けられた光景は、まさにシーンの活況を象徴する瞬間だった。
「日本の音楽業界は、安全や安心を優先する傾向がある。かつて日本のヒップホップは、誰しもが無視をし、バカにされるようなジャンルでした。それでも僕は、ヒップホップを通してビジネスを少しずつ学び、アーティスト活動を続け、国内のリスナーを育てていきました。何より、僕たちには情熱があったんです」
日本にヒップホップのシーンが存在しなければ、リスナーをいちから育てていく。それがYZERRの流儀だ。BAD HOPの戦略は、日本の音楽シーン全体を見てもあまり類例がない。彼らはレコード会社に所属せず、楽曲制作や映像、ブッキングの連絡まですべての活動を自分たちとその仲間で行ってきた。5万人を動員するほどの人気がありながら、ミニマムなチームで運営を行うというギャップがユニークだ。そのフットワークとスピーディな意思決定力を生かし、海外ラッパーが先んじていたストリーミングでのフリーダウンロードキャンペーンや無料ライブの開催など、次々とイベントを仕掛けた。さらにバラエティやドキュメンタリー番組などにも積極的に出演し、ヒップホップに関心のない一般層の知名度も獲得していった。