ハワイのある関係者によれば、現地の社長に倒産が知らされたのは実に倒産の2営業日前だったそうで、まさにドタバタの倒産劇だった。それにもまして、ハワイ報知社の親会社である静岡新聞社の動きも、いささか急だったようだ。
何故「私的整理」に踏み切ったのか
実は、以前から経営危機は噂されており、昨年12月には、1912年から発行を続けていた日刊新聞「ハワイ報知」の発行を取りやめたばかり。その後は印刷会社として経営を続けていたものの、もう持ち堪えられないと私的整理に踏み切った形だ。何故ここにきて私的整理に踏み切ったのだろうか。
「日系人読者の高齢化やコロナ禍の影響でホテルや航空会社などの契約先を失って部数減に悩んでいたのは事実。売上の多くは別の新聞やパンフレットなどの商業印刷業でまかなっていた。ただ、赤字経営はいまに始まったことではなく以前からの課題。再建に取り組んでいたなかで、日本の親会社が何故いま決断を下したのは不可解」(地元メディア関係者)
ハワイ報知は、1912年12月に故牧野金三郎氏によって創刊。日系移民の人権擁護と人種の垣根を越えた言論活動を展開し、ハワイの日系移民の歴史とともに歩んできた。
1941年12月の真珠湾攻撃も一面で伝えた。1960年代に、静岡新聞社の当時の大石光之助社長の援助を受けて経営存続を図り、海外では最古の日本語日刊新聞となっていた。今回、会社が倒産したことで、現社長が推し進めていた新聞の歴史をアーカイブとして閲覧する取り組みも頓挫してしまった。筆者の実感としても、ハワイの歴史の貴重な記録が失われた観がある。
ちなみに、私的整理の決断を下したのは、静岡新聞社の現会長の大石剛氏。ハワイ報知の支援を決めた大石光之助氏の孫にあたる。年に3〜4回はハワイに出張し、ハワイ報知社の経営にも積極的に関わってきた。今回の私的整理劇でも、自らハワイを訪れて陣頭指揮を取っていた。
ハワイ報知社の社屋には2つの銅像が飾ってある。一つは同社創業者の牧野金三郎氏、もう一つはハワイ報知を救った静岡新聞社初代社長の大石光之助氏。その銅像を見て、大石剛氏は、どのように思ったのだろうか。