「芸術作品とは、ただ問題を起こすものなのです。ですが、大きな問題ではありません。アート界は、大きな問題を起こすには脆すぎます……私が作っているのは、必ずしも芸術作品ではありません。私はいくつもの小さな問題を起こしているだけなのです」
北京電影学院を2年で中退、ニューヨークのパーソンズ美術大学に1学期在籍したアイ・ウェイウェイは、その後は独学でアートを学んだ。いずれかひとつの専門家となることを拒否し、彫刻やインスタレーション、建築、デザイン、写真、映画など、さまざまな分野で活動している。
また、彼は「間違った」発言を恐れない。幾度となく、それを証明してきた。彼の目には、創造性は行動する力であり、現状を変える力だ。芸術家は活動家でなければならないと確信しており、権威主義体制に挑み、表現の自由を唱道する上での芸術の役割を、固く信じている。
1957年に北京で生まれたアイ・ウェイウェイは20歳前後まで、黒竜江省と新疆ウイグル自治区の辺境の村にある労働収容所で暮らしていた。著名な詩人の父、艾青(アイ・チン)が共産党から反革命右翼であると非難され、北京を追放されたためだ。戻ることを認められたのは、文化大革命が終わろうとする1976年のことだった。
1981~1993年までの12年間、米国で暮らし、中国に戻ったのちの2011年、警察から激しい暴行を受け、収監された。身の危険を感じたことからドイツへの亡命を申請。2015年以降は欧州に拠点を置き、現在は主にポルトガルの首都リスボンから車で南東に1時間ほどの場所に新設した巨大なスタジオで、活動を続けている。
レゴブロックは「素材」
ユネスコの世界遺産に登録されている歴史地区、イタリア・トスカーナ州のサン・ジミニャーノにある「ガレリア・コンティニュア(Galleria Continua)」では2024年9月1日まで、レゴを使った作品35点を紹介するアイ・ウェイウェイの個展、「Neither Nor」が開催されている。彼は2015年、デンマークの玩具メーカー、レゴにブロックを大量注文した。だが、レゴは「自社のブロックが政治的な目的で使用されることは受け入れられない」として、販売を拒否。そこで彼はSNSを通じて、ファンに寄付を呼びかけた。その結果、集められたブロックは数百万個にのぼったという。レゴはその後、販売を断ったことは誤りだったと認めた。
アイ・ウェイウェイは、「個人的なメッセージを伝えるために、レゴを使用しています。レゴには、私や私の子ども時代に関連する物語が織り込まれています」と語る。以下、レゴを素材にした作品の制作を続ける理由などについて、彼に話を聞いた──。