まだ幼かったころ、1930年代に禁固6年の刑を受け、収監されていた間に父が書いた詩を読んだ。イエス・キリストが犠牲になった瞬間のこと、キリストを裏切った者、あらゆる啓発の物語について書いたものだった。
その物語の中で父が教えてくれたのは、ユダがわずかな金のためにキリストを裏切り、宗教に圧力をかけたこと。キリストはユダの裏切りによって犠牲を払うことになり、そしてキリストになったのだということだ。
物語には、ユダのような人物が必要だ。だから自分自身を、ユダに見立てた。人々に、「私を信用してはならない」と伝えたかったからだ。
──ジョルジョーネの『眠れるヴィーナス』を再現した作品の前には、(人工中絶の禁止に対する抗議活動のシンボルである)ハンガーが置かれています。中絶を巡る問題と、女性の権利擁護に対する懸念を示しているのでしょうか?
私が政治的な立場を明確にすることはない。個展に「Neither Nor」というタイトルをつけたのは、そのためだ。
基本的人権だと考える言論の自由以外の、どの権利を擁護しているわけでもない。言論の自由とは、正しいことを言えるだけでなく、間違ったことや、間違っていると指摘される可能性があることも発言できるということ、それによって議論ができるということだ。
もしあなたが、いわゆる「間違ったこと」を許容しないとすれば、あなたは自分の理解、あるいは自らの価値判断の枠の外にあるものを許容しない、最も危険な社会にいるということになる。
人間には、意見を述べる権利がある。人間社会は、いまも成長を続けている。科学的に急速に発展していたとしても、完全な成熟に達することはない。人間としての私たちは、非常に未熟だと思っている。
(forbes.com 原文)