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2024.07.22 15:00

B・スプリングスティーンが資産10億ドル超のビリオネアに

ブルース・スプリングスティーン。2023年5月25日、オランダ・アムステルダムにて(Ben Houdijk / Shutterstock.com)

米ロック界の「ボス」、ブルース・スプリングスティーンがようやく経済的な安定を手に入れたのは、1981年に生まれ故郷のニュージャージー州に戻ったときだった。5枚目のスタジオアルバム『THE RIVER(ザ・リバー)』を引っさげて、初めて商業的に成功したツアーを終えたばかり。銀行口座には大金が入っていた。それでも当時32歳だったスプリングスティーンは、同州コルツネックに借りた牧場家に、道端で拾ってきた中古の家具を置くことにした。

「財力があったため、隣近所ではちょっと浮いた存在だった」とスプリングスティーンは回顧している。昨年出版されたウォーレン・ゼインズ著『Deliver Me From Nowhere』の中でのことだ。1982年に出した6枚目のアルバム『NEBRASKA(ネブラスカ)』制作中のスプリングスティーンに焦点を当てた同書では、当時のことを「育ってきた環境で身近だった人たち、これまで手紙のやりとりをしてきた人たちから、距離を置かれることへの葛藤と向き合っていた」と語っている。

金に飽かした暮らし方には馴染めなかったものの、60年以上にわたる音楽人生で、自らの出自であるブルーカラーの人々を歌い上げながら築いた財産はかなりの額に上る。フォーブスの推計によれば、控えめに見積もっても資産価値は11億ドル(約1730億円)相当。74歳になった今でもツアーに出ては、3時間のショーを歌い切る。常に変わることなく労働者たちを代弁してきた彼は、今日も世界中のファンのためにギターを弾き、精力的に活躍を続けている。

スプリングスティーンはいつも故郷を大切にしてきたが、広く知られるその労働倫理感は、貧しい少年時代に培われた、もっと上を目指したいという願望に根付いている。メジャーデビュー後初のアルバム『GREETINGS FROM ASBURY PARK, NEW JARSEY(アズベリー・パークからの挨拶)』(1973年)以来、スプリングスティーン印のロックンロールは、肉体労働者たちの暮らしや愛の探求、「お前を骨抜きにしちまう」町から脱出する物語を紡いできた。大西洋を臨むジャージーショアの町で労働者階級の両親のもとに生まれ、父方の祖父母の「老朽化が目立つ」家で育ったスプリングスティーンには馴染み深いものだっただろう。

町を出るといっても、一朝一夕にはいかないものだ。スプリングスティーンは1960年代を地元のさまざまなバンドで演奏しながら、アーティストとしての自分を見極め、やがてコロムビア・レコードと契約した。デビューアルバムでバックを務めたのは、ギタリストのスティーヴィー・ヴァン・ザント、ドラマーのマックス・ワインバーグ、サックスの故クラレンス・クレモンズなど、いまや伝説となったEストリート・バンドのメンバーたちだ。地元ジャージーショアのクラブで演奏する中で知り合った彼らがホームクラブにしていた「ストーン・ポニー」は、1970年代に地図に店名が記載され、「ブルースが建てた家」の異名で有名になった。
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翻訳・編集=荻原藤緒

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