本物の投資家ほど、実は利他主義であり、投資行動が未来を変える原動力になっている。
『投資家が「お金」よりも大事にしていること』の著者であり、レオス・キャピタルワークス取締役CIOの藤野英人氏が注目するステキな投資家とは?
本多静六 / 日比谷公園などの設計を行った造園技師、学者、投資家、篤志家
「いま最も再評価したい長期投資家の始祖」
日本の長期投資家の始祖といえば、やはり本多静六だろう。
生まれは1866年8月。私が生まれたのがちょうど100年後の1966年8月で、ともに長期投資に関わっていることもあり、勝手ながら奇妙な縁を感じている。
彼は、もちろん長期投資家として優れた実績を残したが、真骨頂は、投資家であるとともに素晴らしい職業人、かつ類稀なる篤志家であったことだ。
職業は学者。東京大学農学部で林学博士となり、最終的には東京大学農学部教授に就任した。とはいえ、象牙の塔に入りこみ、研究に埋没する人物ではなかった。日本全国を飛び回り、造園技師としての作品を多数残した。北海道の大沼公園、室蘭公園。会津若松の鶴ヶ城公園。埼玉の大宮公園。東京は日比谷公園と行幸通りの設計。長野県の臥竜公園。名古屋の鶴舞公園。大阪の住吉公園。日本の公園で名の知られたところは、ほとんど彼の手に掛かったものと考えてよい。
職業人として偉大な足跡を残しながら、投資家としてもこれまた類稀なる実績を上げた。退官するまでに築いた資産額は、推定で数百億円というのだから驚く。それも、仕手戦のような相場に身を投じたのではなく、もともと大資産家だったわけでもない。
当時から公務員の給料は、決して安くはないが、驚くほど高くもない。毎月の給料の中から彼は、4分の1を節約し、投資に回した。本多自身、「本多式4分の1貯金法」と言ったそうだ。
20代から退官するまで続けた結果が、数百億円という資産に結びついた。
投資法は極めてシンプル。不況時に積極果敢によい会社の株式を買って長期保有する。そして景気がよいときには倹約に励み、次の不況時に投資するためのタネ銭を一所懸命につくった。キャッシュマネジメントの見本のような話で、現代にも通じる、極めて合理性の高い手法といってもよい。
職業人と投資家で、ともに優れた業績を残した本多氏は、晩年にかけ、篤志家というもうひとつの顔を見せた。これは、もうお見事という他はない。私自身、これまでの人生で、いわゆる「お金持ち」と呼ばれる人をたくさん見てきたが、ここまで鮮やかな幕引きを見せてくれた人は皆無に等しい。
彼は、投資で築いた数百億円という資産のほぼすべてを、退官と同時に寄付した。ほとんどは匿名、もしくは他人の名前を使っていたという。巨万の富を築き、かつ仕事を通じて名声を得た人の多くは、自分の人生の仕上げに叙勲を目指す。当然、数百億円もの財産の大半を自らの名のもとに寄付すれば、勲章のひとつももらえるはずだが、彼はそれを潔しとしなかったのだ。
本多静六は、その生涯を通じて100冊くらいの本を書いている。そこにはさまざまな名言がちりばめられている。
「他人との比較で自分を疲れさせてはいけない」
「人並み外れた大財産や名誉は、幸福そのものではない」
「人生最高の幸福は、社会生活における愛の奉仕にのみ生じる。わかりやすくいえば他人のために働くことだ」
以前、インドのIT企業・ウィプロの会長が、成功とは何かという質問に対して、「長期的な人間関係を築き、その人のために奉仕すること」と答えた。成功とはお金でも、地位でもない。素敵な人との結婚でもないし、健康でもない。長期的な人間関係を築き、その人のために奉仕することこそが、成功の本質なのだ。「愛の奉仕」と全く同じである。本多静六の言葉には、時代や国境を超える強さがある。
長期的な視点をもち仕事と投資に励み、築き上げた富を広く社会に還元する。
長期投資家のロールモデルだが、よく考えてみれば、公園をつくる彼の本業こそ、長い時間をかけて木や場を育てていくという意味で、長期投資の最たるものといってもよい。
本多は1952年、86歳で人生を終えた。終戦で焼け野原になった日本が、高度経済成長に向かう時期、彼を手本にした長期投資家が数多く輩出され、日本の成長を支えた。だからこそ、私たちが次の成長を目指すうえで、その根幹となる思想のひとつとして、是非とも本多静六を再評価しておきたい。