1979年、米国で若い女性を次々と手に掛けた連続殺人犯テッド・バンディの裁判が初めてテレビ放映されたとき、人間のこの性情は驚くほど赤裸々に白日の下にさらされた。この事件以来、そして「シリアルキラー」という言葉が1970年代に生み出されて以来ずっと、犯罪者は病的な好奇心の対象となってきた。
インターネットとテクノロジーが発達した現代社会において、犯罪ノンフィクションは非常に人気の高いジャンルだ。ドキュメンタリーに映画、TikTokやユーチューブのチャンネルに至るまで、純粋に犯罪心理の解剖に特化したコンテンツがあふれている。シリアルキラーに関する情報はかつてなく入手しやすくなった。
この爆発的な人気の高まりに、次のような疑問を抱くのは自然なことだ。すなわち、シリアルキラーに対する人々の関心の高さが、犯罪者を美化することにつながってはいないか。また、私たちが非人道的な犯罪に関心を抱くのは、私たち自身の非人間性を反映しているのだろうか。
最近の研究結果によれば、いずれもまったく事実と異なる。
人はなぜ犯罪ノンフィクションに惹かれるのか
学術誌New Media & Societyに今年5月に掲載された研究論文によると、シリアルキラーに関するオンラインコンテンツを視聴するという行為は、そもそも悪いことではなく、有害でもなければセンセーショナルでもない。むしろ私たちが、世界や人類、自分自身の良い面、悪い面、醜い面を理解するための手段なのだという。研究チームは、シリアルキラーに魅了される人々の心理はいくつかの重要な視点から理解できると述べている。
1. 忌まわしさ
シリアルキラーを題材としたコンテンツを視聴したりオンラインコミュニティーに参加したりするのは、こうした犯罪者たちが自分の価値観や信念といかに相容れない存在であるかを理解する方法として機能する。論文では、記号論学者ジュリア・クリステヴァの1982年の著作『恐怖の権力』を引用し、身の毛もよだつ事件への関心が「忌まわしい」という魅惑的で不穏な感覚をどのように呼び覚ますかを説明している。