ロシア軍部隊は、この工場を押さえて、そのすぐ南を流れるボウチャ川を渡るための足場にする狙いだったとみられる。ボウチャンシクを東西に貫流するボウチャ川は、市の南側を守るウクライナ軍部隊にとって自然の防壁になっている。
だが、ロシア側の目論見は大きく外れた。ウクライナ軍部隊が逆襲をかけ、市を南北に走るソボルナ通り沿いに数百メートル北上したためだ。ソボルナ通りの一部をウクライナ側に制圧された結果、骨材工場のロシア軍部隊は市内にいる残りの部隊から切り離された。
孤立し、包囲され、ウクライナ軍機から執拗に爆撃を受けながら、第83空中襲撃旅団の部隊は6週間たっても工場内にとどまっていた。ロシア側はここ数日でようやく骨材工場までのルートを切り開き、包囲されていた部隊を救援した可能性がある。
この戦争の観察者たちにもほとんど知られていなかったが、この春から夏にかけて、孤立し、包囲され、絶え間なく敵の攻撃を受けていた部隊は、ボウチャンシクの工場のロシア軍部隊だけではなかった。
5月上旬、ウクライナ陸軍第225強襲大隊とウクライナ海兵隊第223海兵大隊の兵士で構成される小規模な部隊は、ウクライナ東部チャシウヤール郊外の森林地帯で防御陣地を保持していた。そこにロシア軍が進撃してきた。
10人前後だったとみられるこの部隊はにわかに森の中で孤立し、ロシア側に包囲された。友軍部隊とは数百メートルは離れていた。第225強襲大隊は「兵士たちは全周防御を保ち、侵略者の攻撃を絶え間なく撃退し続けました」と9日にソーシャルメディアで報告している。
部隊は70日間防御戦を戦いながら、最も近くにいる規模の大きな友軍部隊、第24独立機械化旅団が敵陣を突破して救援に来てくれるのを待った。