食&酒

2024.07.05 11:30

日本人女性が米国で「新進シェフ賞」を受賞、チアリーダーから料理の世界へ

ジェームズ・ビアード財団賞で2024年の「新進シェフ賞」を受賞した森下昌子氏(The Washington Post via Getty Images)

ジェームズ・ビアード財団賞で2024年の「新進シェフ賞」を受賞した森下昌子氏(The Washington Post via Getty Images)

ジェームズ・ビアード財団賞の2024年「新進シェフ賞」を受賞した森下昌子は、米国ワシントンD.C.にある日本料理店「Perry’s(ペリーズ)」でシェフを務めている。同店は、特に「日本のコンフォートフード」を専門としている。コンフォートフードとは、食べるとホッとする安心感や幸福感を呼び起こす、子供のころに食べた家庭料理を思わせるようなシンプルな料理のことだ。森下によれば、このような料理は、日本のお母さんたちが昔から作ってきたものだが、米国では見過ごされていたという。彼女の目標は、この伝説的な日本食に独自の工夫を加えることである。

例えば、森下は独自の料理の1つを「味噌バターはまぐり」と表現する。そのベースとなっているのは、彼女の父親が好きだった「味噌汁をご飯にかけてバターを少量加える」食べ方だという。それが日本では適切な料理法とは考えられていないことを彼女は認めているが、それにもかかわらず、彼女の父親はその料理に惹かれた。日本のコンフォートフードは「ほとんどの米国の料理よりもシンプルで軽い」と、森下は表現している。

日本のコンフォートフードのもう1つの例は、森下の「ニンニク枝豆餃子」だ。これは彼女が母親から教わった料理に新たな工夫を加えたものだという。

ジェームズ・ビアード財団が選んだ今年の最も優れた新進シェフは、ワシントンD.C.の食堂で日本のコンフォートフードの新しいスタイルを作り出している。

料理はDNAの中に

森下にとって、レストランで日本料理を供応することは、DNAの一部に刻まれているものだ。彼女が生まれ育った日本の神戸では、祖母と母親が100年近く続く酒店とバーを経営していた。実際に彼女は調理学校に通ったことはなく、彼女の遺伝的背景から、おそらくその必要もなかったのだろう。

最初はNFLのチアリーダー

森下は最初、2013年に交換留学生としてウィスコンシン州ポプラにやって来た。そこで異国と異文化に浸り、日本ヘ帰国した。それから人生の紆余曲折を実演するかのように、彼女は再び渡米し、NFL(ナショナル・フットボール・リーグ)のフットボールチーム、ワシントン・レッドスキンズ(現在のワシントン・コマンダース)のチアリーダーとなる。

その後、森下はワシントンD.C.にあるマックスウェルパークという店で、レストラン業界におけるキャリアをスタートさせる。彼女が2021年から2022年まで働いていたその店はワインバーで、小さなキッチンに小さなオーブンと電磁調理器が1台あるだけだった。

そこで森下は「ワインと合う創造的で興味深い日本のコンフォートフードの軽食」を作る仕事に挑戦することになったという。

ペリーズは森下に「もっといろいろなことができ、いろいろなものを創作できる、もっと広いキッチン」を与えた。40年前から営業を続けているペリーズは、寿司や日本のコンフォートフードを主に提供しており、1991年に始めてから長く続いている日曜日のドラッグブランチでも知られている。森下は、隔週の土曜日に提供している和食の朝食メニューを加えた。
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翻訳=日下部博一

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