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音楽

2024.07.10 14:15

フジロックは激動の時代とどう向き合っていくのか スマッシュ佐潟社長インタビュー

佐潟敏博|スマッシュ 取締役社長

1997年に初開催されてから、今年で27年目を迎える「フジロックフェスティバル」。富士山麓で始まったが、1999年の3回目から新潟県苗場に会場を移転。毎年7月最後の週末に行われる一大イベントは、今や夏の風物詩となっている。

コロナ禍には、イープラスが運営元であるスマッシュに資本参加し新体制に。2023年、立ち上げ当初から現場を率いてきた生え抜きである佐潟敏博氏が社長に就任した。社長としてスマッシュを率いる佐潟氏に、フジロック及び日本のライブシーンの現在、そしてこれからについて聞いた。


「やる気があるんだったら入ったらいい」

僕は鹿児島出身で、大学で東京に出てきました。当時から音楽の仕事をしたいなと思っていたのですが、就職活動がうまくいかないまま大学卒業して、しばらくレコード会社でアルバイトをしていたんですよね。今から約30年前、そのアルバイトの契約が切れるタイミングで紹介してもらってスマッシュに入社。そこで創業者でフジロックのファウンダーでもある日高さんと出会い、ずっと一緒に働いてきました。

面接もシンプルなもので、やる気があるんだったら入ったらいい、とすぐに入社が決まって、当時10人もいなかったと思いますが、海外のアーティストのライブ制作を雑用含めてやってきました。入社から数年経って、唐突に日高さんからフジロックやるぞ、と言われたんです。96年に開催したかったのですが、1年伸びて97年に始まりました。

コロナ禍を経て、アップデート

入社してから30年以上、フジロックと海外アーティストの公演制作をこの会社のやり方でやってきましたが、コロナ禍の打撃は大きかったです。影響をもろに受け、建て直さないと立ち行かなくなってしまうという状況で、3年ほど前にイープラスさんが資本参加というかたちでサポートに入ってくれました。

彼らも音楽業界なので、フジロックが積み上げてきたものに価値を感じてくれていたところもあり、外から誰かを連れてきてガラッと変えのではなく、フジロック本来の価値をブラッシュアップしていくやり方で歩んでいます。仮にスタッフを総入れ替えして、外から来た人がイチから作り直すようになると、フジロック自体が壊れかねないという現実も理解されていて、そこは尊重してもらっています。
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文・ポートレート=山本憲資

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