今年1月、米ハリウッド最大のイベントのひとつである第81回ゴールデングローブ賞授賞式は、ビリオネア投資家で運用資産額700億ドルのエルドリッジ・インダストリーズの共同創業者兼最高経営責任者(CEO)であるトッド・ベーリー(50)にとって特別なものだった。
同賞は、2021年に母体であるハリウッド外国人映画記者協会(HFPA)の人種差別問題などでテレビでの授賞式の放映が中止されるなどの事態に陥った。ベーリーはHFPAのCEOとなって改革を主導。昨年6月にペンスキー・メディアとともにゴールデングローブ賞を完全買収。制作側で携わった。23年のテレビ放送では、視聴者は20年の1840万人から630万人にまで減少していたが、今年は、950万人まで復活。まずまずの結果となった。
15年にエルドリッジを設立して以来、ベーリーはこれまで100社以上の企業を集め、総額100億ドルに相当する宝の山を築いてきた。その多くはエンターテインメント企業とスポーツ企業だ。例えばスポーツ賭博サイトのドラフトキングズ、年越し音楽特番、ブルース・スプリングスティーンの楽曲の権利、ホテルのザ・ビバリー・ヒルトン、フィンテック分野のユニコーン企業スタッシュ、ロサンゼルス・ドジャースなどだ。
ベーリーには、繰り返し見る悪夢がある。メリーランド州ベセスダの男子高校ランドン・スクールでレスリングチームに所属していた2年生のとき、140ポンド級(63.5kg級)の試合前の計量を1ポンド(453.6グラム)未満の差でパスできず、コーチに怒鳴りつけられたのだ。今でも年に数回、夢のなかでそのトラウマを再体験するという。
「レスリングは起業に似ています。自分で何とかするしかない。逃げ場はないんです」(ベーリー)
排他的なプライベートキャピタル(非上場企業・資産への投融資)の世界に飛び込んだベーリーには、この教訓は大いに役に立った。ウィリアム・アンド・メアリー大学で金融学を学んだ彼は、ウォール街には何のつてもなかった(父親はエンジニアで母親は小学校教員)。そこで、高校の恩師の助言に従い、大学4年時の海外学習先にロンドン・スクール・オブ・エコノミクスを選んだ。
そして、就学中も働ける特別なビザを取得し、シティバンクのクレジット・デリバティブ部門でインターンの仕事を見つけた。この経歴を履歴書に付け加えることができたおかげで、1996年の卒業後、ニューヨークのクレディ・スイス・ファースト・ボストンに就職することができた。仕事はローン担保証券(CLO)を組成するアナリストだった。
97年に上司の大半が他社に移ってしまうと、ベーリーは23歳にして高利回りのCLOを設計することになった。99年には未公開株投資会社のJ・H・ホイットニーに移籍し、グッゲンハイム パートナーズの共同創業者マーク・ウォルターと出会った。
ベーリーの仕事ぶりに感心したウォルターは、2001年にこの若き銀行家がホイットニーの15億ドルのクレジット事業を買収しようとした際に資金を提供。この事業をグッゲンハイムに取り込み、ベーリーを責任者に据えた。
それからの15年、ベーリーはグッゲンハイムのクレジット事業を600億ドルにまで成長させ、同社の資産運用事業の責任者に就任。この運用資産事業でセキュリティ・ベネフィット・ライフやディック・クラーク・プロダクションズの買収、ドジャースの一部買収を手がけ、11年にはグッゲンハイムの社長に任命された。
そして15年、ベーリーは独立を決心した。