北米

2024.06.30 14:00

米ルイジアナ州、「モーセの十戒」の教室掲示義務化で生じる厄介な問題

Getty Images

米ルイジアナ州で6月19日、キリスト教の旧約聖書において神が預言者モーセに授けたとされる10カ条の戒律「十戒」を公立学校の教室に掲示することを義務づける州法が成立した。

この州法には、米国憲法修正第1条(「国教を樹立し、若しくは信教上の自由な行為を禁止する法律を制定してはならない」という条項)に違反するとの批判があり、人権団体は異議を唱えている(6月24日には、市民が州政府を集団提訴した)。

歴史的に「教室での教化」を終わらせるために尽力してきたはずの議会が、今度は自分たちで教化を導入するという皮肉な状況を批判する者は多い。

しかしこの問題には、別の厄介な側面もある。それは、教会と国家を隔てていた壁をなくそうとするときに生じる危険性を浮き彫りにするものだ。

古い格言にある通り、宗教と政治を混ぜ合わせると、政治が生まれるのだ。

ベンチャーキャピタルのGlean Capital創設パートナーでフリーライターのイーライ・フェダーマンは、CNNへの寄稿記事で、十戒を「メイフラワー誓約」のような歴史文書と同列に扱うのは十戒を世俗化することだと指摘。新しいルイジアナ州法は「十戒の神聖性を損ない、宗教を傷つける」と批判した。

新州法の意図は、十戒が米国史の基礎を成す重要な一部だと主張することにある。これに対し、歴史の授業で教える内容が十戒に適合するよう改変されるのではないかとの懸念の声がある。これは正当な懸念だろう。

しかし、この州法にはフェダーマンが指摘しているような聖書が世俗的な文書と化すリスクにとどまらない、宗教的な危険性が伴っている。

旧約聖書に記載された十戒には異なるバージョンがある。だが、ルイジアナ州法では教室にどのバージョンを掲示するかを厳密に規定している。

たとえば、州法には「偶像をつくってはならない」という戒律が含まれているが、その理由について述べた文章は含まれていない。「あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし」(出エジプト記20章5節:新改訳聖書)という文章だ。
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翻訳=ガリレオ

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