「お前が社長になれると思うなよ」
数原氏は、三菱鉛筆の社長に就任する前に、父に何度か言われた言葉があります。「会社は、数原家のものじゃないぞ。だから、お前は別に社長になれると思うなよ」。数原氏は慶応大卒業後、野村総研に入社します。祖父や父がいる三菱鉛筆のおかげで、学校に行けたと思っていたので、何らかの役に立ちたいとは思っていました。
一方で、三菱鉛筆に入社することになっても、先代や先々代と同じ道を進んでもしょうがないから、「外の会社を勉強して、違う軸で勝負したい」とも思っていたといいます。
評価するのは数原家の人間じゃない
数原氏は、4年間を野村総研で過ごしました。しかし、ある日、当時社長であった父から「会社(三菱鉛筆)に入るなら、そろそろじゃないか」と言われ、2005年に三菱鉛筆に入社します。
しかし、数原氏は「社長になれると思うな」という、父が言った突き放された言葉がひっかかっていました。真意は何だったのでしょうか。会長である父・英一郎氏は「後継について、評価をするのは数原家の人間ではない。社員であり、世間だ。だから人一倍努力しろという思いがあった」と明かします。
一方で、英一郎氏は「そんな言葉を言った記憶はないな」とも付け加えた。数原氏は「互いにもっと色んなキャッチボールをしていたから、強く記憶に残る言葉のポイントは違うのかもしれないですね」と振り返りました。
コロナ禍で社長就任、「つらい状況」
2005年、三菱鉛筆入社後は、群馬工場長や経営企画担当取締役などを歴任しました。同じポジションには最長でも2年と、多様な部署を転々としました。大手企業の野村総研から転身してきた数原氏の目に、多くの課題が映りそうなものですが、「当社のいいところを勉強させてもらう日々でした」と振り返ります。
そして2020年、コロナ禍のまっただ中に社長に就任しました。街中で多くのオフィスが閉まり、文房具の需要は大きく下落しました。「一番つらい状況だった」といいます。
コストカットせず、新事業へ
しかし、多くの企業がコストカットに乗り出す中、数原氏は社長として最初に新規事業のチームを結成しました。入社以来、デジタル化の波を見てきた数原氏。「書くこと」は少なくなっていくことは時代の成り行きだと感じていました。「一本足では厳しい。もし売上がゼロになったら、どれだけ会社が存続できるのか」。財務部門の分析によると、2年間は存続できると分かりました。
ならば、じたばたするのではなく、長期的な視野の新規事業に踏み出そう。そうして生まれたのが「Lakit(ラキット)」というサービスです。