中央銀行トップとして、異常なデフレと10年の格闘。異次元緩和「黒田バズーカ」の覚悟はどこから来たか?
北野唯我(以下、北野):わが国の中央銀行総裁を10年勤めて、仕事の難しさはどこにありましたか?
黒田東彦(以下、黒田):2013年に就任するまでの15年間、先進国でも途上国でもデフレがこれだけ続いた異常な国はありませんでした。量的・質的に大規模な金融緩和を皮切りに、デフレ克服へ向けたあらゆる政策を実行しましたが、それでも時間がかかってしまった。これが最も難しかった点です。
コロナ感染症が広がる2020年までの8年間で経済が活性化し、企業収益は空前の水準に達しました。500万人以上の新規雇用が生まれ、失業率も大幅に下がった。しかしいくら景気がよくなっても、なかなか物価上昇率が1%を超えないし、賃金もほとんど上がらない。日銀のスタッフも理由を探しましたが「15年続きのデフレで、人々のマインドセットがそうなってしまっている」という結論でした。
北野:退任会見では、強固な「ノルム(社会通念)」に悩まされたと表現されました。
黒田:ソーシャルノルムとは情緒的な言い方ですが、経済学的に言えば期待インフレ率が0%程度から動かなかったのです。せっかく大幅な金融緩和や政府の財政政策、構造改革を通じて景気は回復し、企業収益は十分なのに、賃金が上がらない。実際にデフレ期の物価はマイナス0.3%ほどでマイルドな下落率でしたが、名目賃金は毎年0.9%くらいずつ下がりました。ボーナスもどんどん削ったわけです。1998年以降、企業と組合が「正規雇用を守る代わりに、賃上げを要求しない」と示し合わせた結果でした。
北野:内部留保に回ってしまったと。
黒田:このノルムを打ち破ったのが、皮肉にも2022年に始まったウクライナ戦争です。資源やエネルギーの価格が一気に上がったことで輸入物価が大幅に上昇し、それが消費者物価に反映された。物価がそんなに上がったなら、雇用者の賃金を釣り合わせないといけないと思った企業が多かったのです。
もしこのタイミングで景気が悪く、企業収益も良くない状況だったら、賃金も上がらなかったし、単に物価だけ上がって成長率がマイナスに落ちていました。大幅な金融緩和によって経済が完全に復調していたからこそ、賃金が上がり、長期インフレ期待も上がってきたのだと思います。