筆者は2022年11月に同地域を訪れたが、海氷は急速に薄くなり、海運も容易になっていた。ロシアは具体的なプロジェクトについては明言していないが、同国が資源探査に乗り出せば、南極条約体制にとって脅威となる可能性がある。これまでのところ、同条約は各国が武力によって領有権を主張する衝動を抑え、国際的な科学協力の模範となってきた。だが、現在の地政学的な状況を考えると、南極での科学を巡る各国の連帯感が損なわれる可能性がある。
南極大陸で鉱物資源を採掘すれば、同大陸の領有権を主張する7カ国(訳注:英国、ニュージーランド、フランス、ノルウェー、オーストラリア、チリ、アルゼンチン)にとって、渡航や居住が容易になる。注目すべきは、領有権を主張するチリとアルゼンチンが、南極基地に子どもたちのための学校を備えた恒久的な居住施設をすでに設けていることだ。ロシアの石油探査が最近明らかになったことで、チリは国防軍に警告を発し、南極基地で安全保障会議を開いた。
他方で、気候変動危機は、ロシアやウクライナも含む南極条約の締約国が国内の政治的利害に関係なく、科学協力と保全に対する揺るぎない姿勢を維持する動機にもなり得る。気候変動が世界に与える影響の中で最も破滅的なシナリオは、恐らく南極の氷床の融解に関するものだろう。南極大陸は地球上で最も寒く、最も風が強く、最も乾燥していると言われるが、巨大な氷冠の中に地球上の淡水の70%以上を含んでおり、最も「湿った」陸地でもある。2350年までの気候変動の影響に関する水文学的考察では、南極の氷床の完全な融解は想定されていないが、特に東南極氷床を覆う氷がわずかに変化するだけでも、降水パターンへの影響が懸念される。
南極半島にあるウクライナのベルナツキー基地は、科学と現代の紛争の接点となる興味深い遺産だ。元は英国の基地だったが、1996年にウクライナ政府に引き渡された。同基地は南極のオゾンホールが最初に調査された拠点の1つで、有害な紫外線から地球を守るために国連加盟国や関連団体が全会一致で批准した唯一の国際環境条約を策定するきっかけとなった。ウクライナは、現代のシステム生態学を代表する人物で「生物圏」という概念を最初に提案した学者の1人であるウォロディミル・ベルナツキーを記念して基地に名付けた。ベルナツキーはウクライナとロシアの両国で科学者として尊敬されているが、それはベルナツキーが両文化のアイデンティティーが共生できると信じていたからだ。ベルナツキーの栄誉をたたえる同基地により、両国間の科学外交は再び活性化することだろう。