ある本との出合いを機に、アール・ブリュットの世界へ
──ところで、バーストさんがアール・ブリュットの世界に身を置くことになったきっかけは何だったのですか。もともと私は出版社に勤めていて、文学、エッセイ、詩などの分野に携わっていました。もう30年前のことですが、あるとき一冊の本と出合ったんです。それは、スイス人アーティストのアドルフ・ヴェルフリについて書かれた本でした。
ヴェルフリは、精神病患者だったようです。その本には、ヴェルフリは「20世紀で最も重要な4人の芸術家のひとり」だとあったのですが、私の持っている芸術書にはその記述がまったくありませんでした。
これを不思議に思い、私はアール・ブリュットのことを自分なりに調べ、こう考えるようになりました。「アート史において、アール・ブリュットが見落とされているのはもはや事件である」とね。
──先ほどの「アート史の欠落」がまさに。
ええ。それから15年かかりましたが、私はアール・ブリュットの作品集を出版し、アール・ブリュットをアート界や主要な美術館に持ち込むことを始めました。それが私の活動の原点です。ギャラリーを構え、ギャラリストやキュレーターとして活動する傍ら、これまでに約120冊の作品集を出版しました。
──現在、アール・ブリュットの権威として世界中でご活躍されています。今後はどのような活動に注力していきたいですか。
執筆にもっと時間を割きたいです。でも、書く時間がないんですよ。世界中の現代アール・ブリュットを包括的に紹介する最初の本を執筆中ですが……。これは英語とフランス語で出版される予定です。
「ブリュット」の、もうひとつの意味
──日本では、アール・ブリュットに対してさまざまな解釈がなされています。バーストさんの考える、アール・ブリュットの定義とは何ですか。まず、アート界の外にいる人々によって作られた作品であること。ただそれゆえ、アール・ブリュットは「アウトサイダーアート」とよく言われます。しかし、私はこの言葉は好きではありません。なぜなら私は、彼らはアートや創造の「外」にいるのではなく、「中心」にいると考えているからです。
20世紀を代表するキュレーター、ハラルド・ゼーマンは、「アール・ブリュットは個人の神話である」という重要な概念を残しました。要するにアール・ブリュット作家は、自身の欲求に従い、自身が生きやすい世界を築くために表現を行っていると。アート市場や美術館の求めているものに応えているわけではないし、そこに対する関心すらないわけです。
アート界の外側から出現する、純粋な、内的欲求による表現。それがアール・ブリュットです。