営業も開発もより深く顧客を知るべき…旭化成が抱えていた課題感
2023年に日本を代表する総合化学メーカー・旭化成が自由なものづくりに挑める場所として立ち上げたのが「AKXY Lab」だ。企業を問わず金属や樹脂、木材といったさまざまな素材の開発や加工、販売に携わる人々が集まり、素材技術と加工技術を掛け合わせるワークショップイベントやプロトタイピングといった実験的な取り組みを行っている。総合化学メーカーとして長い歴史を持つ旭化成がなぜ今、ものづくりの根幹に立ち帰る取り組みを始めたのだろうか。
ことの発端は、17年にEVメーカーのGLM株式会社とコンセプトカー「AKXY」を共同開発したことにさかのぼる。Asahi Kasei × You =「AKXY」のコンセプトで、素材の魅力や価値を訴求するための新たなコミュニケーションに取り組んだ。さらに、自動車以外のアプリケーションへの拡大を目指し、2021年には文化服装学院と協力してデザインコンペを実施。産学連携による旭化成素材を活用したコンセプトシューズの制作プロジェクトを展開した。
「コンセプトシューズ制作プロジェクトの発足当初は、正直、靴の製造は簡単にできるだろうと思っていました。しかし、コロナ禍の影響もあり、素材の調達から加工業者、組み立て業者の確保に至るまで非常に苦労しました。さまざまな企業や工程を経てものづくりが行われていることを再認識するとともに、中国をはじめとする海外への依存度が高く、国内のサプライチェーンが分断されていることを実感するきっかけにもなりました」
こう話すのは、AKXY Lab の共同発起人である栗林祐介だ。建築材料を扱う営業部門出身の栗林は、当時設立されたばかりのマーケティング&イノベーション本部で、同じくAKXY Lab 共同発起人となる吉武勇人と出会う。吉武はそれまで、天然高分子領域の素材を研究・開発する技術職を務めていた。2人はそれぞれが抱えていた課題意識を共有し、自分たちにもできることがあるはずだとAKXY Lab を立ち上げるに至った。
栗林は営業の視点から、自身が開発・販売した建築材料が実際の建築物で目に見える形で使われることにやりがいを感じながら仕事に取り組んできた。一方で樹脂や繊維など、より広範に世の中で使われている素材が具体的にどのような場面や用途で活用されているのか、断片的な情報しか共有・認知されていない実情を憂いていた。これが顧客の課題やニーズに対して、適切なアプローチを講じるのが難しい一因となっていた。また、手触り感が得られないことが若手のモチベーション低下にもつながっていると考えていた。
開発部門出身の吉武は、日本の製造業の一般的な課題感として「顧客ニーズについて十分に検討されない状態で進められる研究開発」のほか、「挑戦的な新規実験を行える環境の不足」、「用途探索や事業化推進力の不十分さ」などを挙げる。さらに、旭化成として新規事業がなかなか生まれない状況にも危機感を抱いていた。
「営業と技術、それぞれの抱えている課題感が社内でも共有されておらず、両者が混ざり合ってより深い議論を行える場が必要だと強く感じました。旭化成にとってAKXY Lab は、企業認知度の向上や消費者ニーズの把握、共同開発の促進や新規開発テーマの創出のために存在すると同時に、営業、技術、その他職種の人間がより活発に情報や考えを共有し議論する、そんな場になることを期待しています」(吉武)
お互いにできないことを補い合える共創コミュニティ
コンセプトシューズ制作プロジェクトを通じて国内サプライチェーンにおける課題を認識した栗林と吉武は、これまで接続されていなかった企業や技術を接続することが課題解決の一助になることに気づいた。掛け合わせる素材技術と加工技術を増やし、またサプライチェーン全体を巻き込むために、旭化成社外にも開かれたコミュニティという形を構想して立ち上げた。初年度の2023年は関西から3社、山梨県の富士吉田市から3社が集まって、社会課題などを議論するワークショップを行いながらプロトタイピングを実施した。
その結果、傘の廃棄問題解決にファッションの観点からアプローチした「ワンマイル雨具」や、石の廃材に金属精密加工技術を掛け合わせて新たな飲酒体験の提供を試みた「いしちょこ」といった数多くのプロトタイプが生み出された。
「お互いが当事者感のあるものづくりに取り組むことで議論も盛り上がるし、何より制作メンバーがみな、すごく楽しそうにしていたのが印象的でした。また、この取り組みを通じて改めて中小企業のスピード感に驚きましたね。大企業だと稟議などの手続きに時間がかかりますが、中小企業であれば翌日にモノが仕上がることもある。大企業×中小企業でお互いにできないことを補い合えるというのも、AKXY Lab の持つ価値のひとつです」(吉武)
AKXY Lab が異色なのは、中小企業の製造業者や加工業者、また個人のプロダクトデザイナーらが所属しているだけではなく、旭化成の競合他社とされる素材メーカーも参加していることだ。
「我々は競合かどうかということはそれほど気にしていません。もちろん、ある素材では競合関係にあることもあるでしょうが、その話とAKXY Lab での話は別です。AKXY Lab ではプロジェクト毎に誰にどのような価値を届けるのか、参加者全員で考えます。目的達成のためにそれぞれの力を結集する、そこにおいては競合ではなく仲間だと思っています」(吉武)
競合意識よりも大きな課題感を共有しようとするのは、日本の化学業界が置かれている状況を考えればなおさらだ。現在、国内需要の減少や中国をはじめとした海外のプラントの煽りを受け、国内の化学プラントの稼働率は右肩下がりを続けている。
「化学業界はもちろん、製造業全体が共倒れにならないよう、一丸となって取り組んでいかなければならない状況だと感じています。サプライチェーン全体でものづくりを考えることは、サーキュラーエコノミーの実現にもつながる重要なことです」(栗林)
「我々としては、旭化成だけでなく製造業界全体に対する価値を生み出せるよう、新しいスキームや可能性を広げていきたいと考えています」(吉武)
知的財産に関する情報や社外秘の情報までを共有する必要はない。可能な範囲で情報共有ができればいいというスタンスだ。こうした考えの下、情報交換や交流を深めながら展開してきたAKXY Lab は、今後のプロトタイピングに備えているメンバーも含め現在50人以上が参加するコミュニティになった。
ホームページのメンバー紹介ページも、旭化成をはじめ、それぞれが所属する企業ロゴはあえて掲出されていない。これもまた、組織ではなく熱量を持って参加する個人を尊重するというコミュニティの考えを反映している。
「AKXY Lab の最大のミッションは『日本の製造業のエコシステムを活性化する』ということ。旭化成には僕も含めて、製造業が日本のアイデンティティのひとつだと思っている人が多い。だからこそ、そこにある技術やノウハウ、そして想いを次につないでいきたいし、そのためには旭化成という一社だけが元気になればいいという話でもありません。ものづくりは一社だけではできないので、さまざまな企業や人と本音でコミュニケーションを取りながらより良いものを作っていく場が必要だと思います。ものづくりを心から楽しみながら新しい技術の掛け合わせを生み出せる、そんな場所を作りたかったのです」(吉武)
ものづくりを“楽しむ”ことで社会に好循環を生み出す
AKXY Lab の2期目となる活動は始まったばかり。6月には2024年度のプロトタイピングに向けた初回のワークショップを開催し、以降も各地でのワークショップやイベント出展を行う予定だ。AKXY Lab の展望について、2人はこう話す。「日本の製造業を活性化させるためには乗り越えなければならない課題が多くあり、さまざまな視点や技術が必要なので、もっとメンバーを増やしていきたいです。制作への参加だけではなく、展示会に来ていただく、SNSを見ていただくなどいろいろな形でAKXY Lab を応援してもらえると嬉しいですね。多様な業種、職種の方たちとかかわりながら、一緒に製造業のエコシステム全体を良くする方法を模索していきたい。我々が目指しているものに共感してくれる方がいれば、まずは話をしてみたいです」(吉武)
「そもそもAKXY Lab の活動に価値があるのか、それ自体もやってみないとわからないというところからスタートしました。我々は思いがあってこのプロジェクトを始めていますが、ことさら素晴らしいことをしていると言うつもりはなく、まずはみんなが楽しんでものづくりに取り組めることが大事だと考えています。今は旭化成に所属している私たちが運営していますが、他社の方にも運営に入っていただけるような未来もあるかもしれません。AKXY Lab の活動が広がることで日本のものづくりが活発になり、ひいては日本の経済や世の中がよりよく循環していくのではないかと期待しています」(栗林)
AKXY Lab の活動後、メンバーはこぞって「楽しかった」と口にするという。彼らは、ものづくりを楽しむことこそが、新しく面白いイノベーションを生むと信じている。日本の製造業を一丸となって盛り上げるコミュニティとして、AKXY Lab の門戸は今日も開かれている。
AKXY Lab
https://akxylab.com/
くりばやし・ゆうすけ◎2013年に旭化成建材株式会社に入社。建築材料の営業と製品開発を経験し、ものづくりの楽しさを知る。旭化成株式会社に異動し、現在は社内横断マーケティング企画者として、国内外展示会やデジタルマーケティング推進を手がける。
よしたけ・はやと◎2015年、旭化成せんい株式会社に入社。繊維素材である「ベンベルグ®︎」の技術開発職に4年半従事した後、現在に至るまで新規事業やマーケティングの企画に携わる。