SMBC日興証券の、全社横断のDX推進と人材育成を担うデジタル戦略部の部長 佐々木有香に、証券業界における生成AI導入のユースケース、取り組みへの姿勢、生成AI活用人材の育成および活用者の全社拡大のための取り組みについて聞いていく。
金融業界に数多くのクライアントをもつPwCコンサルティングからは、企業の生成AI活用、データ活用の推進をリードする執行役員 パートナー/Analytics Insights 三善心平が登壇。金融業界における生成AI活用のポイントについて、解説する。
モデレーターを務めるのは、Forbes JAPAN Web編集⻑ ⾕本有⾹だ。
「業界を問わず、生成AI導入には『社内業務の効率化』と『顧客接点』にどのように活用できるかという2大テーマがある」という三善の指摘からセッションはスタートした。
「『社内業務の効率化』では、日本企業はドキュメント文化と言われるだけあり、長年にわたる充実したデータが存在することが多い。生成AIといってもデータがなければ精度の高い回答は不可能なので、これは大きなアドバンテージです」
「顧客接点」では、ユーザーからの金融商品に関する問い合わせ対応・商品説明への活用が期待されているという。
金融業界では、社内ルールや法規制に則った厳格な書類作成が、業務プロセスの遂行に必須だ。そこには複雑な計算も伴う。
「顧客からの問い合わせ対応に、とても気を遣うのが金融商品です。複雑な仕組みをもつ金融商品を的確に伝えなければならないのはもちろん、コンプライアンスの観点から表現もセンシティブ。生成AIの能力に対するニーズは、より高いと言えます」
金融業界では、フィンテック(金融テクノロジー)という呼び名でいち早くDXが推進されてきた。証券業界の現状はどうなっているのだろうか。谷本の問いにSMBC日興証券でDXをリードする佐々木が答える。
「貯蓄から投資、資産倍増計画、新NISA、デフレ完全脱却など、現在の証券業界は大きな変革の時を迎えています。
2022年10月に始まった生成AIブームは、証券業界でも同様でした。SMBC日興証券も昨年から、『どのように生成AIを業務に組み込んでいくか』という議論を始めました。1990年代後半のインターネットの普及で加速したオンライン取引の履歴のほか、数十年にわたる対面証券としての取引データが、弊社には豊富に蓄積されているので、生成AIの活用範囲も広いと考えています」
生成AI導入成功のための「トップダウン」と「ボトムアップ」、「全社横串」
ではSMBC日興証券は、どのように生成AI導入によって成果を生み出しているのだろうか。佐々木はキーワードとして「トップダウン」と「ボトムアップ」、「全社横串」の3つを挙げた。「『トップダウン』を実現するために、まず経営陣の勉強会を2023年4月よりスタートさせました。『ボトムアップ』のための社員向け生成AI活用検討ワークショップも6月に開催し、経営層・現場従業員の両サイドから取り組みを開始したのです」
日本企業のDXは通常、現場からの「ボトムアップ」が中心だったが、その場合、活用部署が限定されるなど、部分的な変革にとどまりやすい側面があると三善は指摘する。
「全社的なレバレッジをかけるなら、やはりトップダウンも不可欠です。とはいえ経営層が、付け焼き刃の表面的な理解のみでAI導入を指示しても、現場は戸惑ってしまう。全社的なコミットメントを実現するためには、SMBC日興証券のような両サイドからのアプローチがとても理にかなっています」
さらに佐々木は、「全社横串」の取り組みとして、ワークショップなどでAI知識を共有したのち、SMBC日興証券の全部署・全社員に向けて「自身の業務にどう生成AIを活用するか」アイデアを募ったという。
「集まったアイデアは3,400件超もありました。もちろん現実化するためには、それらを整理する必要があります。
そのためデジタル戦略部で12項目に分類し、64のユースケースに類型化したうえで、現在の生成AI技術で対応可能なもの、弊社的にインパクトが強いものを仕訳し、34のアイデアを優先的に取り組むべきものとして厳選しました」
「社内業務の効率化」分野では文書生成、翻訳、議事録の分析など、「顧客接点」分野では顧客との対面折衝履歴をもとにした新商品企画、顧客満足度を高めるための施策がすでに、実現に向けて動き出しているという。
企業が生成AIを使いこなすポイント
SMBC日興証券の事例を受け、三善は生成AI導入を奏功させるポイントを以下のようにまとめた。「これまでのDX施策に比べて、生成AIはプログラミング知識や難解なツールを必要としないため、ユースケースのイメージが湧きやすいというハードルの低さが特徴です。ただ多くの意見が出やすい反面、社内のガバナンスが利いていないと、混乱に結びつきかねません。
だからこそ佐々木さんが率いるデジタル戦略部のように、CoE(センターオブエクセレンス)組織が必要なのです。ガバナンスを利かせながら、データやツールを全社的に共通化し、各事業部にノウハウが溜まった段階で、自律に任せていくことが肝要です」
三善は、この手法自体は目新しいものではなく、これまでDXを推進してたくさんの企業が試みてきたものと同じだと指摘しつつも、こう語る。
「そこでうまくいかずにフラストレーションを抱えた経験が、今回の生成AI導入のタイミングで強いモチベーションにつながり、功を奏し始めているとも言えます」
もちろんSMBC日興証券も生成AI導入に伴い、困難は生じたと佐々木は振り返る。
「導入初期は、生成AIの精度の低さから、厳格な回答を求める現場社員の要望に応えられず、諦めムードが漂ったこともありました。そこでデジタル戦略部は現場の社員とワンチームとなって回答の精度を高めるためのブラッシュアップを行い、課題が起きるたびにアジャイルに対応して、解決を図りました」
さらに同社では現在、全社員が生成AIを使いこなすためのツールを開発中だという。全社員のユースケースを集め、新たな19機能を搭載するAIポータル「My Buddy」だ。
「My Buddyは、まだAIを活用できていない社員に向けたツールです。UI(ユーザーインターフェイス)の作成に注力し、トップ画面は文章校正、要約・翻訳、議事録分析などの目的別に項目分けを行い、使いたい機能が一目瞭然になっています。
導入当初の生成AIは、ごく標準的なチャット形式のインターフェイスでしたが、目的の機能を使うための的確なプロンプト(AIに対する指示文)作成が大変だという社員の声がありました。
議事録分析を例に取ると、会議の決定事項、未決定アジェンダなどを抽出できる機能はもともとAIに備わっています。しかし適切なプロンプトを立てることが難しかったのです。そこで使いたい項目を選び、よく使う機能をプリセットのボタンひとつで実行できるようにしました」
「My Buddy」はさらに進化を続け、実装が決定している19機能以降の追加に関しては、社員が自分たちの業務で使える新しい機能を追加していけるように、社内のデータサイエンティストがどんどん更新していけるつくりにする予定だという。そのための研修も、すでにスタート済みだ。
佐々木の説明を受け谷本は、全員が使いこなせるための環境づくりこそがDXの推進においては何よりも大切だと共感を示した。
「リテラシーが高い人のみが使えるツールでは、全社的なムーブメントにはつながらない。使えない人が使ってこその全社導入であり、『トップダウン』『ボトムアップ』『全社横串』という縦横無尽の改革を行うことができるという強い意志を感じました」
生成AI時代のデジタル人材育成
次なるテーマは生成AI時代の人材育成についてだ。SMBC日興証券は20年の段階ですでにデジタル人材育成をスタートさせていた。ただその時は苦い経験もあったと佐々木は振り返る。「受講生の数を増やすことばかりに集中してしまい、蓋を開けてみると実際の業務に活用している従業員がほとんどいなかったのです」
その教訓から、現在は活用率をKPIに定めた。活用のためには座学だけでなく、実地で伴走支援が必要だと考えたという。その考えに三善も深くうなずく。
「生成AIを導入すれば、1時間かかった仕事が1分で完了すると言われていますが、その成果を1%の人間が達成するか、全社員が達成するか、その結果の差は歴然です」
ここで谷本は、かねてより議論が続く「生成AIは人間の仕事を代替してしまうのではないか」という社会に蔓延する危機感に言及した。
世間的には生成AIは単純作業を行い、人間はクリエイティブを担うという図式が一般的だが、そう簡単に割り切れるものではないというのが三善の意見だ。
「時間をかけても結果(アウトプット)が同じ仕事なら、もちろん生成AIに軍配が上がります。しかし個人のクリエイティビティなどによってアウトプットが変わってくる仕事は、やはり人間が担わなくてはなりません。
ただ人間が担うクリエイティブな部分にも、生成AIは役立ちます。発想や展開のアイデアの壁打ちに使うことで、個人の生み出すアウトプットをより研ぎ澄ますことができるからです。
また生成AIを使うからこそ増える業務もあります。たとえばAIガバナンスやデータ漏洩防止などのリスク管理、データベースの充実のための施策などの業務は、新たに増えていくと考えたほうが良いでしょう」
企業が考えるべき、生成AIを“導入しないリスク”
佐々木が考えている生成AI活用の未来像、それは顧客へのサービスの充実だという。「これまでのDXでは活用できなかった、対面証券で培ってきた数十年来の自然言語によるデータが、生成AIでは使えるようになります。過去にわたってデータを掘り返すことで、新たなサービスの創出にも役立てられると思います」
データ蓄積に関して三善は、日本企業の大半が、眠れるデータをもっているはずだと指摘する。
「日本企業がひたすら積み重ねてきたドキュメント文化が、生成AIを活用することで、強力なナレッジのデータベースとなるのです。日本企業は生成AI導入によって、グローバルでも勝ち抜けるパワーを得る可能性が高い。
また近年、団塊世代の退職などによるノウハウの喪失が企業で問題になっていますが、過去の文書やプレゼンテーションのファイルがデータとして残っていれば、ノウハウの継承もしやすいのではないでしょうか」
今こそ企業は、自分たちがどのようなデータを蓄積しているのかを精査すべきだと三善は強調する。
そして、ハルシネーション(AIによる誤情報生成)などを恐れて導入しないという選択肢を考えている企業に対しては、こう警鐘を鳴らす。
「今後生成AIはアジャイルにブラッシュアップされていくでしょう。より精度を高めていくに違いありません。その時点で被る“導入しないリスク”を、企業はしっかり考えるべきなのです」
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