菅原:好意的な反応も多かったですが、2万件の苦情が来ました。その人が当たり前に本人らしく生きることを応援しただけなんですけどね。団地に入居したときも、私たちのやり方が普通の介護事業者とはあまりにも違うので、最初はうさんくさいと思われていました。でも9年ほど活動を続けているうちに、ようやく「こうあるべき」という大きな固定観念が取り除かれてきたのを感じます。
最近では、認知症の方が倒れたときにどうするかを地域住民が自ら話し合うような動きも出てきました。こうなると、「ケア」が「日常の暮らし」の一部になります。どんな人も大家族の一員として、喜怒哀楽を共有しながら生きていくためには、私たちが地域住民をいかにエンパワーメントするかが重要です。
富樫:「ケアする人とされる人が線引きされない」という考え方は、最初は理解するのが難しいと感じた方もいたのでは。新しい価値観をいったいどのように浸透させていったのでしょうか。
菅原:もちろん今も反発はあります。それでも私たちが大切にしてきたのは「専門家にならない」ことでしょうか。もちろんプロとして介護の仕事はしますが、だからといって介護の専門性を高めることに躍起になるわけではありません。介護職である前にひとりの人間として、地域の人との信頼関係を築く。プロとしての見解を押し付けるのではなく、暮らしのなかで起きた営みから「なぜその人がそうしたのか」「今何が必要とされているのか」を考え、動き続けてきました。事実、既存のルールでは支えきれない人はたくさんいます。でも自分たちが柔軟に動けば動くほどルールや制度からは外れるので、いろんな人に怒られるんですけどね。この点は牧さんも同じではないでしょうか。
牧:ええ、たくさん怒られてきました。でも、いろんな人に怒られながら仲間を増やしていくことこそ「ソーシャルイノベーション」の本質なんだと思います。社会を変えるプロジェクトの原点には、いつも「こんなことができたら面白い」というワクワク感があります。新しい常識は、まさにその積み重ねによって生まれるのだと思います。
その一方で、忖度型の合意形成から生まれたプロジェクトは、ソーシャルイノベーションにはつながりません。周囲に一切軋轢を生まず、安心して始められる取り組みは、変革にはなり得ないのではないでしょうか。もし現状の悪循環を正義とするなら、イノベーションは“悪の組織”によってしか生み出されないのかもしれません。
菅原:本当にそうですね。行政は既存のルールを守らせることが仕事ですから、イノベーションを起こそうと思ったら、むしろ「怒られないといけない」ぐらいに思っていたほうがよいかもしれません。