しかし、公聴会はかつてないほど荒れ、後味の悪いものとなり、将来パンデミックが来たときのアメリカの保健防衛にも大きな傷跡を残した。この「荒れ」と「傷跡」は少し遅れて必ず日本にも上陸すると思われ、囁かれている日本の政権交代でも議論の目玉の1つとなりそうだ。
公聴会に寄せられた多くの批判
アメリカ議会の公聴会は、常に政治がかっているので、聞き苦しい不要な批判や非難があり、一方では顔を赤らめるほどの賛辞なども混在する。多くの米国民は、議会には関心なくとも、公聴会には大きな興味を寄せ、選挙で民主党と共和党のどちらに投票するかの参考にしたりする。特に国民のプライバシーや安全、さらには国防や最高裁判事の任命などとなると一層の盛り上がりを見せる。Facebook(メタ社)のマーク・ザッカーバーグやトヨタの(当時の)豊田章男社長が公聴会に呼び出され、それぞれ会社の管理監督責任を厳しく追及されたのも記憶に新しい。
ファウチ博士はパンデミックが始まった当初から積極的に記者会見をして、個別に具体的なマスコミのインタビューにも応じ、アメリカのコロナ対策の羅針盤となった人物だ。感染症の現場のデータは州政府の公衆衛生局に集まり、連邦政府はその伝聞情報に頼るというハンディを言い訳にせず、どんな質問にも逃げなかった。
職務上、当然、党派に偏ることのない中立な発言に終始したが、トランプ政権のときに始まり、バイデン政権時に事実上収束したパンデミックの過程で、いかにも「トランプを落選させた張本人の1人」とラベルを貼られ、本人の意思とかかわりなく共和党員に非難される存在ともなっている。
とはいえ、民主党員に賛辞されるかというと、パンデミックで亡くなったり、仕事を失ったりした人に配慮して、正面切って賛辞する民主党員はそれほど多いわけではない。後述するが、アメリカのリベラルコンセプトを代表するニューヨーク・タイムズ紙も、パンデミックを振り返るコラムを載せながら、その中心は博士への批判だ。
連邦行政機関で働く以上、そのトップが政治利用されるのはややいたしかたないことであるとしても、一民間人を議員たちが自分たちのパブリシティに利用し、票の獲得のために罵詈讒謗を浴びせ、個人攻撃をするにまでいたった今回の公聴会には多くの懸念が寄せられている。
たとえば、ジョージア州の共和党女性議員マージョリー・グリーンは、「あなたのことを博士だとは認めない」として、博士号は剥奪されるべきだとまで言って公聴会を一時中断させたばかりか、ファウチ博士を投獄すべきだと述べた。
その理由としては、米国がロックダウン政策をとり、国民に不要不急でない外出を禁じている際に、ファウチ博士が家族とスポーツイベントに出かけているように見えるスクープ写真を提示して、「自分だけ特別じゃないか」と思っているのではないかと非難したところに由来している。
このほか、マスク政策、6フィート離れるソーシャルディスタンス政策、ワクチン政策、すべてにおいて、「あれはもっとうまくやれるはずだった」という非難も浴びせられた。
1980年代のレーガン政権の頃から国立アレルギー感染症研究所の所長を務めてきた83歳の科学者は、喋りも饒舌で、論理も明快だが、それでも複数の議員から怒鳴られ、責められ、涙ぐむ様子もテレビに映された。