今年2月中旬、第110旅団は数百人にのぼるともみられる死傷者をあとに残して撤退し、アウジーウカの廃墟をロシア軍に明け渡した。数週間の休息のあと、同旅団はアウジーウカ西方の新たな戦線に配置され、戦闘を待ち望んでいた。
第110旅団が1カ月で7機のSu-25を撃墜できるというのは考えられないことではない。4月下旬、米議会でようやく追加支援が承認されると、米国防総省はただちに相当額の武器弾薬をウクライナに発送したからだ。
さらに、ロシア空軍の残存する100機かそこらのSu-25は、ウクライナ側が弾薬不足に陥った半年の間に以前よりもはるかに攻撃的になってもいた。
とくに有名なのは、4月中旬から数週間、Su-25がウクライナ東部の最前線の都市チャシウヤール方面の前線のすぐ上空を頻繁に飛んでいたことだ。
こうした行動は以前にはみられなかった。ウクライナ軍の防空弾薬が一時枯渇する前は、ロシア空軍機のパイロットはふつう、前線から数km離れた安全な空域からロケット弾を発射していた。
第110旅団は手持ちのミサイルが増え、付近にそれで狙えるSu-25も多くなっていたのかもしれない。とはいえ、撃墜の証拠候補は2つしかなく、どちらも証拠として弱い。
(forbes.com 原文)