ミラノの喫茶店でのある一コマ
イタリア・ミラノにわたしが暮らし、まだ学生だったころのこと。あるとき喫茶店で、授業が終わった昼下がりに、エスプレッソを飲んでいた。となりの席では、若者たちが顔を突き合わせて、ひどく真剣な顔つきで話をしている。政治の議論でもしているのかと思ったけれど、どうやら、三人のうちのひとりの青年が、卒業祝いに、新作のジャケットを新調したということについて話しているらしい。
なんでもそのジャケットを家に帰って着てみたら、袖が数センチ長すぎたということだ。なんとしたことだろう。ゼニア※(イタリアの高級紳士服ブランド)※のカフスボタンが半分隠れてしまう。彼らは肝心な点を見過ごした店員に不信感を抱き、肩口ばかり見て袖口に気を充分に向けなかった、自分たちのことも責めていた。
そのころ、ゼニアのカフスボタンは、イタリアの若者たちの最初の夢だった。初めてあんな大枚を払ったというのに。
「仕立て屋のおじいさんを知っているから、紹介するよ。ちょうどよい袖口にしてくれるんじゃないか」
「でもデザインが崩れないだろうか」
「いや、そうだな」
彼らの会話は印象に残った。確かにイタリアの男たちは、ひとりで買い物するのが大きらいだ。
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そんなイタリアの若者たちは、ほんとうに、連れ立って背広を買いに行く。襟は流行に叶っているとか、足が短く見えるとか、わいわい意見を出し合う。店員も混ざって、最高の(そしてコスパのいい)一着を選び抜く。センスのいい奴は人気ものである。“見るべきところをわかっている”から。
身だしなみを気にするなんて、男らしくない。そんな風に思うひともいるだろう。けれども身だしなみというものはは、周囲へのリスペクトでもある。