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食&酒

2024.06.01 15:00

バウムクーヘン誕生秘話|河本英雄×小山薫堂スペシャル対談(前編)

放送作家・脚本家の小山薫堂が経営する会員制ビストロ「blank」に、ユーハイム代表取締役社長の河本英雄さんが訪れました。スペシャル対談第13回(前編)。


小山薫堂(以下、小山):ユーハイムといえば「バウムクーヘン」ですが、日本で初めて登場したのはいつですか?

河本英雄(以下、河本):ユーハイムの創業者であるカール・ユーハイムが1919年、広島県物産陳列館で開催された展覧会で披露したのが初と伝えられています。

小山:広島県物産陳列館って、現在の原爆ドームですか!? そう考えると時間と歴史の重みを感じますね……。

河本:ええ。ユーハイムさんはもともとドイツの租借地だった中国・青島で喫茶店を営んでいたのですが、第一次世界大戦時に日本軍の捕虜となって来日したんです。当時は全国に10カ所ほどのドイツ人俘虜収容所があり、ユーハイムさんも大阪から似島俘虜収容所(現広島市南区)に移送されました。といっても、いわゆる高い塀のなかで強制労働をさせられるとかではなく、ドイツ村みたいな感じで、ユーハイムさんも数年間、お菓子屋さんをやっていたんです。ドイツ人には「職業召命感」という、仕事を通して人生を豊かにしていくという観念があるそうで。

小山:マイスターみたいな?

河本:おっしゃる通り。だから捕虜になっても「仕事を続けたい」と軍部の方たちと交渉したとか。その後、1918年の終戦時に、ドイツに帰る、青島に戻る、日本に残るという3つの選択肢から日本を選び、奥様のエリーゼさんを呼び寄せて創業しました。1922年のことです。

小山:一般的には帰国を選ぶと思うのですが、なぜ日本を選んだのでしょう?

河本:捕虜生活のなかで日本人と交流するようになり、今後日本が幸せになるためには我々の洋菓子が必要なのではないか。だったら自分はここへ残って恩返ししようという思いで残られたようです。

小山:胸を打たれます。それで神戸へ?

河本:横浜です。でも翌年に関東大震災が起き、2カ月後に神戸で開店しました。

小山:河本さんのお祖父様は職人としてユーハイムに入られたのですか。

河本:祖父がかかわるのはずいぶん後なんです。まず、ユーハイムさんが1945年8月14日に亡くなりまして。

小山:え、終戦の前日に?

河本:はい。平和を祈ってお菓子をつくり続けた人生を、終戦の前日に終えたんですね。しかもエリーゼさんはドイツへ強制送還されてしまって。残された職人でユーハイム商店を設立し、1953年にエリーゼさんを呼び戻して再出発しました。祖父はというと、もともと教師だったのですが、戦後はバターの担ぎ屋をしていました。岐阜の酪農家の余った牛乳をバターにして、神戸の菓子店へともっていく仕事です。

小山:いわゆる納入業者ですね。

河本:ええ。1958年にはアルプスバター神戸直売所を創業し、エリーゼさんとも懇意になりました。その後、ユーハイムは薪でバウムクーヘンを焼いていたために工場が失火し、倒産の危機に。エリーゼさんに「一緒にやってくれ」と懇願され、経営を引き受けたそうです。
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写真=金 洋秀

この記事は 「Forbes JAPAN 2024年6月号」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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