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2024.05.24 16:00

被災地支援をつないだバトン 日本青年会議所、74年目の「親切心」

青年の真摯な情熱を結集して社会に貢献することを目的に、日本全国で約2万4,000人が活動している団体。それが、日本青年会議所だ。第73代会頭として年始から日本青年会議所でリーダーシップを発揮している小西毅に、理想とする心がけや活動像などを聞いた。
 
青年会議所の活動は、1915年に米国ミズーリ州セントルイスで産声を挙げた小さな青年活動グループに始まる。日本においては、49年の東京を皮切りに全国各地で次々と組織が誕生した。東京青年会議所の設立趣意書には「新日本の再建は我々青年の仕事である」という檄文が刻まれたという。そうして戦後の焼け野原から立ち上がった志ある青年たちは、全国的運営の総合連絡調整機関として51年に日本青年会議所を設立している。発足から74年目の今年、日本青年会議所第73代会頭を務めるのが、神戸青年会議所に在籍する弁護士の小西毅(写真。以下、小西)だ。

第73代会頭が掲げる基本理念とは

小西は「素朴で純粋な親切心」を大切にしているという。

「幼いころ、私は祖母の家に泊まるのが大好きでした。寝るときには畳の部屋に布団を敷き、みんなで川の字になり、祖母が日本の昔話をしてくれました。話が終わると、祖母は孫たちに『人には親切にするんよ。弱い人には優しくするんよ』と優しい声で諭してくれたものです。私は、その言葉を忘れず、困っている人がいれば、手を差し伸べることができる人でありたいと考え、行動してきました。私は、そうした心がけのことを『素朴で純粋な親切心』と呼んでいます」

日本人なら誰もがもっているはずの親切心を呼び覚ますことができれば、日本はもっと豊かになるはずと小西は語る。

「青年会議所では、すべての役職の任期が1年に限られています。私が会頭を務める2024年は『親切心が織りなす豊かさで、笑顔あふれる未来へ』という基本理念のもと、さまざまな運動を展開していきます。『素朴で純粋な親切心』をもっているのに発揮できていない会員がいるとしたら、それはとてももったいないことです。自分のなかに眠っている親切心を呼び覚まし、磨き上げ、しっかりと発揮して、社会課題に向き合って行動し、自己の成長にもつなげてほしいと思っています」

生まれ育った地である神戸の青年会議所に小西は15年に入会している。彼自身は、青年会議所でこれまでにどのような自己成長を遂げてきたのだろうか。

「青年会議所には人種、国籍、性別、職業、宗教といった差異を超えて、誰もが自由な個人の意思で入会できます。例えば、神戸青年会議所の歴代理事長にはインド出身者が3人もいます。しかし、年齢には制限があります。青年会議所は、満20歳から40歳までの青年のみで構成される団体です。この年齢制限のなか、1年限りの任期でさまざまな立場・役職を経験していくことにより、会員は多様な実践経験と自己修練を積み上げていきます。青年会議所での活動を重ねていけばいくほど、新たな責任感や当事者意識が芽生えるのです。私自身は31歳になる年に入会していますが、そうした実践経験と自己修練を積み上げてきた先輩方の厳しさと優しさに憧れると同時に鍛えられ、人として大きく成長することができたと感じています」

日本青年会議所では、「立場が人を育てる」と「人が人を育てる」の両輪が巧みに駆動しているようだ。それは、日本青年会議所の設立以来、74年の長きにわたって磨き抜かれてきたものなのだろう。

青年会議所は被災地とともにある

「私が入会した翌年の16年には、熊本地震が発生しました。地元の神戸青年会議所から出向して兵庫ブロックでも活動していた私は、ブロックの事業として復興支援に参加しました。その際、避難所でホットケーキを焼いていたら、避難している方が『ありがとう』と涙を流しながら受け取っていかれたことがありました。それは、大人になった私のなかでいつしか眠りがちになっていた『素朴で純粋な親切心』が、はっきりと呼び覚まされた瞬間でした」

神戸生まれの小西は、かつて「支援される側」も経験している。

「1995年1月、まだ小学5年生だった私は阪神・淡路大震災を経験しています。日本青年会議所は地震発生後、直ちにヘリコプターをチャーターして救援物資を被災地に届け、同時に支援金口座を開設して募金活動を行い、翌朝には日本各地の青年会議所からの救援物資を届けるネットワークを構築し、人的支援の差配も行ったそうです。私が通っていた小学校も避難所になったのですが、そこで映画を上映してくれたり、綿菓子をつくって配ってくれたりした優しい人たちがいました。最近になって知ったのですが、その人たちこそ、『素朴で純粋な親切心』を抱いて遠い地から駆けつけてくれた日本青年会議所のメンバーだったのです」



日本青年会議所のすごさは、日本全国の会員が普段の自分の仕事を離れ、金銭的な利害関係のない人たちと一緒になって組織をつくり、さまざまな社会課題を解決するために本気になって、無給で動き続けていることではないだろうか。かつて「素朴で純粋な親切心」に救われた神戸の少年はたくましい青年になり、自身も青年会議所に入会した。そして、第73代会頭としての任期がスタートした2024年1月1日、能登半島地震が起きた。

「日本青年会議所では1月1日に災害対策本部を設置するとともに、国土強靭化委員会のメンバーが現地入りし、JVOAD(全国災害ボランティア支援団体ネットワーク)や全国社会福祉協議会と情報を共有しながら、支援体制を構築していきました。今後も被災地の青年会議所やブロック協議会はもちろんのこと、外部の団体とも連携して被災地支援を継続します」

青年会議所の活動は、解決すべき社会課題の内容に応じて国や地方自治体、教育機関、企業、ボランティアなどと手を取り合って進められるのが特徴的だ。

日本・地域の経済活性化に向けて

24年、日本青年会議所は、どのような活動に注力していくのだろうか。

「1丁目1番地は、日本経済・地域経済の活性化です。活性化のひとつの策としては、インバウンドに着目しています。地域によってはオーバーツーリズムな状況が生まれている一方で、魅力的なコンテンツがありながらインバウンドを呼び込めていない地域も存在します。企業や自治体などと協力しながら、そうした地域のコンテンツを充実させていけたらと考えています。日本には671の地域に青年会議所があり、『子どもたちのために、自分が住み暮らすまちをよりよいものにしていきたい』という思いを抱えた約2万4,000人の会員がいます。今、私たちが総力を挙げて地域コンテンツの充実および発信に取り組めば、単に観光客が集まるだけではなく、長期的な観点で、まちの未来をより良いものに変えていけると信じています。私たち日本青年会議所は、人づくりとまちづくりによって未来を変えることができる―。そう信じながら、『親切心が織りなす豊かさで、笑顔あふれる未来へ』向かって行動を起こしていきます。元来、日本は親切心と豊かさにあふれた国なのです。そこにあらためて気づくことから、日本経済・地域経済の活性化はなされていくのではないでしょうか」

日本青年会議所
https://www.jaycee.or.jp


こにし・たけし◎2006年、京都大学経済学部卒業。09年、関西学院大学法科大学院司 法研究科を卒業後、最高裁判所司法研修所に入所。北浜法律事務所を経て、17年に大阪A&M法律事務所の共同代表に就任。15年に神戸青年会議所に入会し、22年に第64代理事長に就任。23年に日本青年会議所の副会頭、24年に第73代会頭に就任。

Promoted by 青年会議所 / text by Kiyoto Kuni ryo / photographs by Shuji Goto / edited by Akio Takashi ro