藤田:もう諦めてしまうという手もあった中で、なぜ踏ん張れたんでしょうか。
初谷:諦めるという選択肢は、自分の中では1回も持ったことがありませんでした。
1回辞めてもう1回始めるのと、このまま進めていくのとどっちがコストが軽いか考えてみると、絶対このまま続けた方がまだいいと思いました。1回辞めてしまうと、今までの信頼関係を無くしてしまう懸念もあるので、そこからもう1回始めるのはかなり難しいと思ったんです。
逆風だと思ったコロナが追い風に
山田:そこからの復活について聞かせてください。
初谷:2020年の4月と言うコロナが始まったまさにそのタイミングからKengaku Cloudが再稼働し始めたんです。また、ここにもプチ・ハードシングスがありました。
コロナ前は広告の仕事やイベントの仕事という柱がありましたが、コロナでイベントができなくなることが2020年の3月、4月で分かってきたわけです。
1年間なんとかこれで食っていけると思っていたのにまた赤字になってしまう。これでいよいよ終わりだなと思っていた時、住宅会社がオンラインでのミーティングを促したり、予約をとったりということがすごく増えてきていました。
Kengaku Cloudに少し機能を追加をするだけであらゆるニーズがカバーできるなと思い、4月頭から3週目ぐらいまでに機能開発をして、ゴールデンウィーク前にプレスリリースを出して......と進めた結果、めちゃくちゃ問い合わせがきたんです。
あ、これだったらもうちょっと行けるかもしれないと思いました。
コロナ禍で無くなったイベント事業の穴埋めをするためにも、まずこれを重ねて頑張っていこうとゴールデンウィーク返上で商談を毎日入れていきました。導入がどんどん決まっていく中で、これだ!っていうあの時の感覚はすごく覚えてますね。
藤田:その時に助けられたことや救いだったことはありますか?
初谷:本当にお2人のような人たちが周りにいてくれたことです。それこそ2019年頃、僕は給料がほぼなくなってたのに、その年に3人目の子どもが生まれています。
なので飲みに行くことも断っていましたが、藤田君はそれでも誘ってくれるから全部奢ってくれ!と言って。
藤田:本当に全部奢らされてましたね(笑)。それまでたくさん奢ってもらっていたこともあったので。
初谷:あとは、支えてくれたのは家族です。
もう厳しいっていうのはやっぱり顔に出ていて、奥さんが「もう辞めてもいいよ」って言ったんですよ。目に涙を溜めているのを見て、その時にやっぱりもうやめるって選択肢はないなと思いました。
子どももそうです。当時5歳だった長男に「失敗したなと思った時どうする?」と聞いたら、即答で「やり直す」と言われて。
そりゃそうやなと思って、失敗したと思ったから辞めましょうは違うなと思いました。
やっぱり自分がやってきたことを、正しいかどうかわからないけれど、間違っていなかったと示さないと気が済まないと思った。そこから、辞めるという選択肢を全く持たなくなりました。
だから家族が何気なく言った言葉が支えになったし、岡山のスタートアップコミュニティの方々にも言葉をたくさんもらったし。支えてくれたのは、人との繋がりです、やっぱり。