「意訳」スタイルには、行間を読み間違うリスクも
一方で水原氏の通訳には、そもそも行間を読み間違うリスクがある。行間に慣れてくれば要点がずれるような対話にはなりづらい半面、通訳の依頼主に「雑」な印象を与えてしまう危険性があるのだ。対話がスムーズであればいいのではないか、と感じると思うが、実際に通訳に当たった際、以下のような通訳は依頼者に不信感を与えてしまう可能性がある。
(インタビュアーの質問)
シーズン30本目のホームランは大きな瞬間でしたね。ヤンキースの守備のミスを利用することにどれくらい集中していましたか?(水原氏の通訳:ChatGPTによる和訳)
あのホームランの方、振り返ってもらっていいですか?この対話は2021年の際のものであるが、インタビュアーの質問が2つの文章で展開されているのに対し、水原氏の通訳は一文(ひと言)となっており、その長さから水原氏が「文字通りちゃんと訳していない」ということくらいは大谷選手も感じるだろう。
このように感じさせることには、対話自体が要点を見失うリスクはないものの、自分のサービス(通訳)を利用するクライアントとの信頼関係を築く上では、障害となってしまう可能性があるのだ。
またもう一つのリスク、あるいは難しい点は、日本語と英語の双方の行間を読めるようになるためには、それぞれの文化におけるコミュニケーションを一定期間以上経験することが必要となる、ということである。
水原氏は大谷選手のドライバーを努めるなど、大谷選手と常に行動を共にしていた経験値が背景にある。このように大谷選手の行間を学ぶ期間が十分にあっただけでなく、日本ハムファイターズで通訳を努めた経験から、日米間の野球文化の違いや交わされる言葉の行間なども経験した背景がある。
このような経験がある水原氏だからこそ、行間を瞬時に調整する「通訳スタイル」が可能になったと言えるだろう。