「2つの流儀」は、対話にどう影響するか?
では彼らの流儀の違いは、どのように大谷選手とインタビュアーの対話を左右するのだろうか?
まず「直訳スタイル」を見ていこう。「直訳スタイル」は、行間や作法の違いよりも一つ一つ訳すことに力を入れる為、それぞれの発話者の要点を見失うリスクがある。それが顕著に表れている対話がある。
アイアトン氏が通訳を行った際の対話である。青字部に注目してみると冒頭で触れた「ぎこちない印象」が理解できるだろう。
(インタビュアーの質問)
デイブ・ロバーツ監督は、時々一つのスイングがすべてを解き放つことがあるとおっしゃいました。あなたにとって、そのスイングが攻撃面で事態を好転させるきっかけになると感じましたか?(アイアトン氏の通訳:ChatGPTによる和訳)
実際、今朝、私は監督と話をしました。彼はただ自分らしくいることを勧めてくれて、あまり無理をしないようにと言ってくれたので、それは本当に私を助けてくれました。自分自身を落ち着かせて、自分らしくいることができたので、本当に嬉しいです。そして、これからもそれ(自分らしくいること)を続けられるといいなと思います。(インタビュアーの質問)
これはあなたにとってドジャースタジアムでの初めてのホームスタンドでした。 1試合で両チーム合計6本のホームランを打ち、ここでのこのエネルギーの電気を感じました。 これ(ホームランの打ち合い、満員のスタジアム)がどのような経験だったと表現しますか?(アイアトン氏が通訳した大谷選手の回答:ChatGPTによる和訳)
確かに、この観客の前でプレーできることは、活力を感じます。だから、良い成績を続けられることを願っています。上の対話の1つ目の対話では、質問者は、ホームランがなかなか出なかった大谷選手に対して、今回の1号目のホームランが、前年度のようにホームランを打つきっかけになるか、という意図をこめて質問している。しかし、大谷選手の回答は質問に対して明確な回答とはなっておらず「これからも自分らしいスイングを続けられるといい」というちぐはぐさがある。
2つ目の対話は、1つのゲームで6本のホームランが出た試合であったことに加え、ドジャース・スタジアムで初ホームランを打った際のファンたちの大きな興奮についてなどに、具体的にどのような印象を持ったか、と聞いている。
一般的な英語の会話なら、「今日は凄い試合だったね」とか「ファンの声援には感謝しているよ」という回答となるところ、大谷選手の回答は今後のことを述べる展開になってしまっている。
一つ一つ丁寧に訳そうとすることが行間や作法への意識を阻害することで、要点からずれた通訳となり、それがぎこちない印象を与える対話となってしまうのだ。