学生らは4月30日未明までにハミルトン・ホールに押し入り、占拠していた。ニューヨーク市警察は数十人を拘束し、バスで移送した。
1968年に何があった?
1968年のコロンビア大学デモは、60年代の「新左翼」運動の代表的な組織のひとつだった「民主社会をめざす学生組織(SDS)」と、同大学の「アフリカ系米国人学生協会(SAS)」を中心に組織された。同年4月の大規模な抗議活動にはいくつかの問題が拍車をかけた。住民の大半を黒人が占めるハーレム地区に隣接するモーニングサイド・パークに、地域住民の利用を制限した体育館を建設するという大学側の計画もそのひとつだった。
学生たちはまた、米国がベトナム戦争をエスカレートさせるなか、国内の大学と関係の深い国防総省系シンクタンク、国防分析研究所(IDA)との関係を断つことも大学側に要求していた。
学生たちはハミルトン・ホールや、当時のグレイソン・カーク学長の学長室を含むキャンパス内の5つ建物を占拠したほか、ヘンリー・S・コールマン学部長をおよそ24時間人質にとった。
その後、ニューヨーク市警が介入し、7日間でコロンビア大の学生700人超を逮捕した。ただ、同年10月までに、少なくとも368人については不法侵入の罪が判事の判断で取り下げられたとニューヨーク・タイムズ紙は当時伝えている。
同紙によれば、学生73人が停学処分を受けたが、大半はのちに復学を認められ、停学が維持されたのは30人にとどまったという。