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働き方

2024.05.09 13:30

経営者の重量感

筆者が40代の頃、数千名の社員が働く企業で取締役を務め、経営者としての修業をしていた時代のことである。

年末、その企業の2千名の社員が集まるクリスマス・パーティが行われたが、楽しい音楽が流れ、賑やかな雰囲気のホテルの大会場で、パーティの最後は、この企業の会長に就任したばかりの経営者が、乾杯の発声で会を締めくくる場面であった。

大手都市銀行の元頭取でもあり、世界的な賞であるBanker of the Yearを受賞した、この著名な経営者が、壇上で乾杯の音頭を取り、「では、乾杯!」と発声した瞬間に、会場の2千名の社員全員の気持ちが、引き締まり、見事に一つになった。

決して大声を出したのでもなく、ただ静かに「乾杯!」と発声しただけにもかかわらず、その場の全員の気持ちを掴んだ、この人物の存在感と重量感。

そのとき、筆者の心に浮かんだのは、「何が、一人の経営者に、こうした重量感を与えるのか」との疑問であった。

だが、その疑問は、後日、この会長の部屋を訪れたときに、解けた。

会長室の片隅に、額縁に入った一枚の写真が飾ってあった。それは、太平洋戦争中の写真と思われたが、一隻の日本の軍艦が、米軍の航空機群に空から猛攻撃を受けている写真であり、その軍艦は、すでに炎と煙を上げ、沈没する直前のようであった。「この軍艦、沈没寸前ですね」と聞いた筆者に、会長は、穏やかな表情で、「ああ、俺、それに乗っていたんだよ」と答えた。

この経営者の名は、小松康。戦時中、巡洋艦那智に、水兵として乗船しており、沈没後、多くの仲間とともに海に投げ出され、沈む夕陽を眺めながら、これで自分の命も終わりか、と覚悟を定めたとき、奇跡的に通りかかった自軍の船に救助された、まさに「九死に一生」の経験の持ち主であった。

すなわち、「生死の境」の体験、その体験を通じて掴んだ「深い死生観」。それが、この経営者に、存在感と重量感を与えていたのであろう。

そして、それは、この小松康氏だけではない。
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文=田坂広志

この記事は 「Forbes JAPAN 2024年6月号」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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田坂広志の「深き思索、静かな気づき」

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