イラン国王は1971年にペルシャ帝国建国2500年を祝う豪華な祭典を催したが、これについてはさまざまな意見がある。一部の人がいうには(ギネスブックにも載っている)、史上最も派手なパーティだった。例えば、テントが立ち並ぶ広大な町での移動に300台近い赤いメルセデスが使われ、フランス・パリの有名レストランのマキシムが2週間閉店してこのイベントの料理を手伝った。世界の王室から多くの出席があり、ユーゴスラビア元大統領チトーからフィリピン・マルコス元大統領のイメルダ夫人まで、多様な政治家も顔を揃えた。このようなあまりに華美な催しの数年後にイラン革命があったのは当然かもしれない。
当時ですら、イランには10万人を超えるユダヤ人が住んでいた。その多くはすぐにイスラエルに向かうことになる。どれほど多かったかというと、1999年に発足したイスラエルのバラク首相政権の閣僚の4分の1がイラン生まれだった。
イスラエルとイランの最近の厄介な状況について直接コメントするつもりはない。これは長年にわたる水面下での対立の結果だ。だが、イランのイスラエルへの攻撃は、地政学的に新たないくつかの傾向を強めるものだ。
そのうちの1つは、イランの神権政治の官僚が国民からも外界からも頑なに切り離されているという意味での官僚問題だ。憂慮すべきことに(マフムード・アフマディネジャド前大統領の時代には特にそうだった)、政治を安定させるのにイスラエルやその他の「敵」との緊張の高まりに頼っている。
イスラエルについては、少し前まで民主主義が危機に瀕していたことを思い出してほしい。そして、 どう見てもイスラエル政府は近年、極右に傾いており、制度を自分たちの意に沿うよう曲げようとする姿勢が顕著だ。
このことから、うまく機能する民主主義の価値が際立つ。と同時にボリス・ジョンソン英元首相やドナルド・トランプ米前大統領のような人物が民主国家に与えたダメージや、これらの人物が民主主義をいかに軽視しているか、そしていかに簡単に独裁者に操られてきたかという憂慮も浮かび上がる。