経済・社会

2024.05.08 13:30

今、紛争地に必要な「平和の特効薬」とは何か

窓外に初夏の陽光がきらめく相模湾が広がる。葉山海岸の洗練されたレストランである。同席の友人はオーナーのマリ・クリスチーヌさんと山本祐ノ介さんだ。マリさんは女子大生タレントのはしりだったが、その後大学院で学位を取り、現在は国際異文化交流に奔走している。山本さんはチェリストにして指揮者である。クラシックからポップスまで幅広い演奏活動に汗をかく。おふたりは、山本さんの亡父、直純さんに縁が深い。山本直純は小澤征爾と並び称された指揮者で、クラシック音楽の大衆化に尽力した。その代表的な番組が『オーケストラがやって来た』だった。マリさんは同番組でアシスタントを務めていた。

うららかな海を見つめながらマリさんが呟く。「こんな平和な光景は、今のミャンマーでは見られないわよね」。

祐ノ介さんは、ミャンマーに特別の思い入れがある。貧しさにあえぎながらもクラシックに渇望している音楽人に触れ、彼らの懇情でミャンマーに本格的なオーケストラをつくり上げようと決意したのだった。

第二次大戦後、ミャンマーの政治経済は混迷を極めた。130にものぼる多民族からなる国で、これを悪用した英国時代の統治が人々に疑心暗鬼を蔓延らせた。軍事政権の下、自由は大きく制限され、教育文化も停滞した。欧米が経済制裁を続けたため、経済はますます窮乏していった。洋楽に親しむ余裕などまったくなかった。打楽器では利き手ばかり使い、チェロは横にして琴のように奏でようとしたという。

2011年、軍出身ながら、テイン・セインが大統領に就任すると民政化を断行して民主派のアウン・サン・スー・チー氏とも和解した。欧米は制裁を緩和し、対外開放、経済改革が進んだ。日本ではミャンマーを『最後のフロンティア』と位置づけ、官民一体となった支援がブームになった。

山本さんはこの時期にミャンマーの音楽愛好家と知り合い、ピアニストの妻とふたりで手弁当の指導を始めた。日本の小学生ブラスバンドより技量が劣り、一人一人のレベルアップで精いっぱいの彼らに、オーケストラなど夢のまた夢だった。しかし、ミャンマーの人たちと山本夫妻の熱意が勝った。日本企業からの支援もあり、14年12月には、日・ミャンマー外交関係樹立60周年記念の初コンサートにこぎつけた。祐ノ介さんは翌年、手塩にかけて育てたミャンマー国立交響楽団の音楽監督に就任し、コロナ禍直前まで精力的に演奏会を率いていた。

「もう3年以上、ミャンマーに行けていません。内戦で団員たちとの連絡も途絶えがちで」。普段は笑みを絶やさない祐ノ介さんが視線を落とす。「またもや軍部の強権復活です。人々は以前より、さらに貧しく不自由になっています。そういう環境にこそ音楽が大切じゃないかしら。音楽は平和の特効薬です」。マリさんが祐ノ介さんを代弁する。
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文=川村雄介

この記事は 「Forbes JAPAN 2024年6月号」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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