うららかな海を見つめながらマリさんが呟く。「こんな平和な光景は、今のミャンマーでは見られないわよね」。
祐ノ介さんは、ミャンマーに特別の思い入れがある。貧しさにあえぎながらもクラシックに渇望している音楽人に触れ、彼らの懇情でミャンマーに本格的なオーケストラをつくり上げようと決意したのだった。
第二次大戦後、ミャンマーの政治経済は混迷を極めた。130にものぼる多民族からなる国で、これを悪用した英国時代の統治が人々に疑心暗鬼を蔓延らせた。軍事政権の下、自由は大きく制限され、教育文化も停滞した。欧米が経済制裁を続けたため、経済はますます窮乏していった。洋楽に親しむ余裕などまったくなかった。打楽器では利き手ばかり使い、チェロは横にして琴のように奏でようとしたという。
2011年、軍出身ながら、テイン・セインが大統領に就任すると民政化を断行して民主派のアウン・サン・スー・チー氏とも和解した。欧米は制裁を緩和し、対外開放、経済改革が進んだ。日本ではミャンマーを『最後のフロンティア』と位置づけ、官民一体となった支援がブームになった。
山本さんはこの時期にミャンマーの音楽愛好家と知り合い、ピアニストの妻とふたりで手弁当の指導を始めた。日本の小学生ブラスバンドより技量が劣り、一人一人のレベルアップで精いっぱいの彼らに、オーケストラなど夢のまた夢だった。しかし、ミャンマーの人たちと山本夫妻の熱意が勝った。日本企業からの支援もあり、14年12月には、日・ミャンマー外交関係樹立60周年記念の初コンサートにこぎつけた。祐ノ介さんは翌年、手塩にかけて育てたミャンマー国立交響楽団の音楽監督に就任し、コロナ禍直前まで精力的に演奏会を率いていた。
「もう3年以上、ミャンマーに行けていません。内戦で団員たちとの連絡も途絶えがちで」。普段は笑みを絶やさない祐ノ介さんが視線を落とす。「またもや軍部の強権復活です。人々は以前より、さらに貧しく不自由になっています。そういう環境にこそ音楽が大切じゃないかしら。音楽は平和の特効薬です」。マリさんが祐ノ介さんを代弁する。