「勇気を持った考えや行動」が流れを生む
溝渕:私はもともと人権や環境問題、途上国支援にかかわる仕事がしたくて、そのためにはビジネスを知る必要があると思い、新卒で三井物産に入社しました。しかし配属されたのは法務部。投資契約書や売買契約書とにらみ合う日々は私の性格にはあまり合わず、正直つらかった。だからこそ、「自分が好きな『食』で社会の役に立つ方法はないか」と考え始め、結果的にovgoの創業、B Market Builder Japanの立ち上げへとつながりました。逆境に身を置くことは、「勇気をもった考えや行動」に向けて、新しい流れを呼び寄せる近道なのかもしれません。反田:共感します。僕は21年に「第18回ショパン国際ピアノコンクール」に出場し、日本人として約50年ぶりの第2位になりました。ただ、出場すること自体がリスクでもありました。予選からすべての演奏がYouTubeで全世界に配信されたため、失敗すればファンの方々が離れたり、JNOの活動にネガティブな影響が出たりする可能性もあった。けれど、結果的に本選後はオファーが殺到。ショパンコンクールに出場したことが、世の中に「反田恭平」とJNOの存在を知っていただくきっかけとなりました。
三浦:私は19歳のときに交通事故に遭い、4年間かけて10回の手術を受けました。当時は「誰の役にも立てていない」と感じて苦しかった。ですが、その経験から「誰かの役に立つ仕事がしたい」と、司法書士になることを決めました。
遺贈寄付に取り組み始めたのは、仕事も安定して子どもが大きくなった頃。人生を振り返ってみて、「社会にどうやって恩返しをし、未来に何を残していけるのか」と思ったことがきっかけでした。そしてすぐさま法人を設立。司法書士としての売り上げは大きく落ちましたが、応援してくれる人たちの輪が少しずつ増え、大きな社会的インパクトの創出につながっているのではないかと思います。
反田:新しい挑戦は批判を受けることも多々ありますよね。僕はコロナ禍の20年に有料の無観客オンライン配信演奏会「Hand in hand」を開催したのですが、後輩ピアニストからも「こんな時期に演者を集めるなんて信じられない」と言われて。でも、可能な限りの対策を講じて演奏会を実施。クラシック音楽業界で極めて早期に有料の配信演奏会を行ったこともあり、2000枚以上のチケットが売れました。
業界の旧態依然とした体質や変化を嫌う姿勢をあらためて目の当たりにし、変えていく必要性を強く感じました。