「どの目線に立つか」と思う原点は、あの取材にある
──インクルーシブ社会の実現と一言で言っても、現実には個別具体的な様々な利害関係や事情が複雑に関係してきます。政治とは、こうした複雑な具体に対してのアプローチの方法だと思いますが、「当事者目線の障害福祉」のために、政治ができることは何なのでしょうか。「ごちゃまぜを当たり前と思える社会」が作られていくプロセスを見せること。それが、障害福祉のために政治ができることではないでしょうか。
先日、「ともいきシネマ」というイベントを開催しました。医療的ケア児の親御さんの「呼吸器や痰の吸引の音が気になって子どもを映画館に連れて行けない。でも子どもに、映画館で映画を見せてあげることが私の夢です」という声がきっかけです。
まずは県のホール施設で、映画鑑賞会を開催しました。看護学校の学生が、ボランティアで医療的ケア児とその家族に付いてくれ、人工呼吸器を付けたままの子も、ストレッチャーに横たわったままの子も、「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」の映画を楽しんでくれました。
そこには一般の映画館の方にもお越しいただき、今度は本当に映画館での「ともいきシネマ」が実現するよう、いわば「仕掛けた」ところです。
そして、いつか映画館で「ごちゃまぜの映画鑑賞会」が継続的に実現するかもしれない。それまでの、一歩一歩のプロセスを見せること、それによって関心や理解を広めること、それが政治の一つの役割であり、プロデュースできることなのではないでしょうか。
──知事はフジテレビ時代に「救急医療にメス」シリーズで、日本の医療体制の問題を提起するなど、一貫して医療や福祉をライフワークにされているように思います。「当事者目線の障害福祉」にもそういった思いはあるのでしょうか。
平成元年のころの仕事ですが、あのころは救急車に駆けつけてもらっても、「救急隊員は医師ではない」という法の壁によって、救える命も救えない現実がありました。
私はそれを問題提起して、やがては救急救命士の制度は整うことになっていきます。アメリカにはパラメディックという救急隊員がいて、フランスにはドクターカーがあるにも関わらず、日本ではどうして救急救命ができないのか、というのが私の取材の発端だったわけです。
しかし、取材してこの問題を知らせたい、と思ったもっと大きな動機は「助けたいのに助けられない」という救急隊員の声や、「助けて欲しかったのに」という家族の声です。当事者目線の声です。
当時の医師会は「消防士が救命なんてもってのほか」という態度でしたが、これはまったく当事者目線ではない。
私が「どの目線に立つか」と思う原点は、あの取材にあります。社会を変えうるのは、やはり当事者目線なんです。当事者抜きに、社会のあり方はデザインできません。